『魏志』の倭人条に「卑弥呼以死大作冢径百余歩」というのがあります。卑弥呼の墓の形と大きさを示しているものですが、ここには「作大冢」ではなく「大作冢」と書かれおり、この冢(ちょう)は「大きな墓」を意味しているわけではないことがわかります。 それでは、「大 ...
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『魏志』倭人条の「水行」「陸行」は後付けではない
「『魏志』倭人条の行路に日数表記がなければ邪馬台国は九州で決まりなのだけれど」という人がいます。また日数表記「水行二十日」「水行十日陸行一月」は後付けしたものであり、「女王国は九州、邪馬台国は畿内大和」という説が実しやかにささやかれています。果たしてそ ...
邪馬台国:古田説・九州以外の説・東遷説が成立しない理由
※卑弥呼の国は『魏志』では「邪馬壹」、『後漢書』では「邪馬臺」、『隋書』では「邪靡堆」と書かれており、「邪馬台」という国名は中国史書上存在しませんが、ここではその説に応じた表現として「邪馬台」も使用します。 最近、近畿大和説、九州説以外にも四国阿波説や千 ...
『日本書紀』の紀年と実年
『日本書紀』の時代表記を西暦に直すと、神武天皇即位は紀元前660年になります。古代天皇の在位期間や事績はそのまま信用することはできませんが、第20代安康天皇からは信頼できるとされています。そのままの『日本書紀』の紀年は、神功皇后摂政39年条にある「魏志 ...

