数か月前、YoyTubeで、「アイヌは13世紀頃に北海道に渡ってきた」と、作家で予備校講師の茂木 誠さんがそのことはまるで確定した史実のように話しているのを見て、え?と思ったのですが、あまり気にせずそのままにしてきました。しかし数日前、同じくYoyTubeで世界史講師で歴史作家の宇山卓栄さんが、茂木さんと同じようなことを話していたので、私も2005年に、『縄文から「やまと」へ』(現電子書籍『倭と山東・倭・日本』)第一章 日本人の起源 でアイヌについて書いていることもあり、その時からかなりの時間が経ち遺伝子研究も進歩し当時の状況とは大きく異なっていることは承知しているものの、どうしても納得のいかない部分もあったので、そのまま放っても置けず、調べてみることにしました。

 お二方が言っている「アイヌは13世紀頃に北海道に渡ってきた」という主張の主な根拠は次の三つです。

① 男性のみに受け継がれるY染色体のDは主にチベットと日本に現れ、D1a2aは主に日本で検出され、現代のアイヌは85%、本土日本人は30~50%となっている。
 D1a2aがアイヌで85%というのは、男系を維持している割合が非常に高く、混血がほとんど行われなかった証拠であり、縄文時代から北海道に住んでいたとしたら、別民族と混血する度合いが大きくなり、このような高い割合にはならない。
② 日本の歴史年表によれば、北海道の歴史は12、13世紀頃からアイヌ文化期となる。アイヌが12、13世紀頃に北海道に渡ってきた証拠である。
③ ア.13世紀頃の樺太において、ギリヤーク(ニヴフ)とアイヌは仲が悪く戦いとなり、ニヴフが元朝(モンゴル帝国)に援けを求め、結果、アイヌは樺太から北海道に逃げていった(茂木)。
  イ.千島列島辺りにいたアイヌはモンゴル(元朝)の侵攻により北海道に逃げていった(宇山)。

 これら①~③について、私が調べた結果は次のようになりました。調べると言っても、このことに対する真相を早く知りたかったので、関係資料を読みあさって結論を出すという方法はとらず、AIに訊いてみることにしました。ただ、AIの回答をみると、きちっと複数の資料を確認しているようであり、特に問題はなさそうなので、AIの回答を含め私なりにまとめてみました。

①の D1a2aがアイヌで85% について(混血との関係)
 Y染色体は男性のみに受け継がれていくもので、D1a2aは父から男の子にのみ受け継がれます。したがって、一つの家族で、D1a2aを持つ父に男の子が2人、女の子が1人生まれたとすると、D1a2aを持つ人は次世代で2人となり、この家族だけで2倍になります。一方、D1a2aを持つ父に女の子だけしか生まれないと、この家族からD1a2aは永遠に失われます。要するに、D1a2aを持つ父に男の子が生まれ、その男の子にまた男の子が生まれていく限り、D1a2aは受け継がれていく、ということです。
  わかりやすくするために、アイヌの始まりのときにアイヌの男性が100人いて、全員D1a2aを持っていたと仮定します。次の世代に一人の父に男の子が1人生まれた家族が90あり、男の子が生まれなかった家族が10あったとすると、その世代のD1a2aを持つ割合は90/90で100%のままです。この時、男の子が生まれなかった残りの10の家族にそれぞれ1人の女の子が生まれ、その女の子10人がアイヌ以外のD1a2aを持たない種族の男性と結婚し、その男性10人が婿養子に入ると、アイヌ集団の男性が持つD1a2aを持つ割合は90/100で90%となります。
 D1a2aを持つ男性が別の種族の女性と結婚しても、生まれる男の子はD1a2aを持っていますから、この場合はどんなに混血してもD1a2aを持つ男性の割合は減りません。この割合が減るのはD1a2aを持たない男性が、上の例のように何らかの理由でアイヌの一員になった場合、そしてそのような家族が増えていく場合です。しかし、85%という割合からすると、婿養子についてもそんなに多くはなかったのではないか、ということが言えると思います。また、過去にアイヌを征服しようとしてそれが実行されていたとしたら、このような高い割合でD1a2aは存続しません。
 アイヌのD1a2aが85%と高いのは、北海道以外の地政学的上閉ざされた環境の中に長くいたため混血する機会が少なかったから、というようなことではなく、アイヌという民族の強いまとまりの意識によるものではないか、と私は考えます。

②の アイヌは12、13世紀頃に北海道に渡ってきた について
 北海道の歴史は12、13世紀頃からアイヌ文化期となる、というはその通りなのですが、これは歴史研究上の区分けであり、突然12、13世紀にアイヌが北海道にやってきたわけではありません。アイヌ文化期というのは、その時期にアイヌの文化が花開いた、ということで、年表のアイヌ文化期の初めにどこからかアイヌが突然やってきて、アイヌ文化期の終わりに突然消えてしまった、というわけではないことは、だれでも容易に理解できると思います。歴史資料として、博物館などにこの年表があるのは当たり前であり、これは根拠になりません。

③の アイヌは13世紀頃、モンゴル(元朝)の侵攻により北海道に逃げてきた について
 宇山さんは「千島列島辺りにいたアイヌがモンゴル(元朝)の侵攻により北海道に逃げてきた」といっていますが、そのような資料があるという事実はAIも知らなかったようです。というか、存在しないという方が正しいかもしれません。
 この件については、茂木さんの言っていっているようなことはAIも回答で言っていますが、そこから導かれる結論は大きく異なります。AIの回答は次のようでした。

 〈樺太アイヌの祖先は北海道から樺太へ進出し、その過程で先住のギリヤーク(ニヴフ)を圧迫した。樺太アイヌは南樺太に多く住み、ニヴフの生活圏と重なり争いが起きた。ニヴフは元朝に、アイヌに境界を侵されていると訴え援けを求めた。元は1264年(文永の役は1274年)頃から樺太へ遠征しアイヌ征討を行った。1308年、樺太アイヌは獣皮の貢納を条件に講和した。〉

 「樺太アイヌの祖先は北海道から樺太へ進出」とあるように、アイヌはもともと北海道にいたということがわかります。これを茂木さんは「樺太にいたアイヌが元の侵攻により北海道に逃げた。だからアイヌは13世紀に北海道に渡ってきた民族だ」と説明しています。この時代に、一部のアイヌが樺太にいたことは史実と認められますが、この一部のアイヌが樺太へ行く前の歴史はカットし、その後のことだけでアイヌの歴史をつくってしまうというのは歴史を語るものとしていかがなものかと思います。 
 お二方は特に③を「アイヌは13世紀頃に北海道に渡ってきた」証拠としていますが、樺太アイヌの存在により、アイヌはその一部が樺太に進出する前から北海道にいたことがわかり、お二方が証拠とするものは証拠になっていません。

 以上、「アイヌは13世紀頃に北海道に渡ってきた」のか?に対する私の見解を一部AIの力を借りて述べてきましたが、それにしても、これまでの歴史の大転換ともなる解釈の根拠があまりに希薄だったことに少々驚いています。基となる資料はしっかり示して説明してほしいものだと思いました。

 蛇足ですが、アイヌだけではなく「日本人の起源」ということで言えば、既に過去の遺物となってしまったのかもしれない拙著『縄文から「やまと」へ』(現電子書籍『倭と山東・倭・日本』)の中で、私は「日本人は、縄文人と倭人と北東アジア系渡来人の混血」と書きました。現在、日本人は縄文人と弥生人による二重構造ではなく、縄文人と北東アジア人と東アジア人による三重構造だという説が提唱されています。東アジア人がいつの時代のどの地域を指しているのか、倭人はどこに入るのか、確認しなければならないところはありますが、21年前の本で、多少内容や細部に異同はあったとしても、私は私の見解による日本人の三重構造をすでに書いていたことになり、当時の資料の分析でも、「日本人の三重構造」にたどり着いていたということには感慨深いものがあります。