安本美典氏は、卑弥呼は天照大神だとしていますが、これは東京大学教授だった白鳥庫吉氏が明治43年(1910)に「倭女王卑弥呼考」でそのように書いたのが最初のようです。それから100年以上経った今も、YouTube などでは「卑弥呼=アマテラス」を唱えている研究者を多く見かけます。安本氏が「卑弥呼=アマテラス」を唱えていることを知ったときは驚きましたが、白鳥庫吉氏がその最初の発信者だと知り、驚きは倍増しました。

 アマテラスについては、今から20年ほど前になりますが、筑紫申真著『アマテラスの誕生』という本を読み、「アマテラス」はもともとは特別な神ではないことを知りました。当時、『縄文から「やまと」へ』という、私にとって二冊目の本を書くため、参考となる種々の分野の本を読み、それを要約しノートに書き留めていました。『アマテラスの誕生』は118冊の内の88冊目でした。今、当時の要約ノートを見ると、原稿を書き上げた後も20冊分ほど要約が書かれていましたが、その後以前勤めていた職場から頼まれ3年ほど嘱託として復帰してからは、要約ノートは途切れてしまっていました。

 『縄文から「やまと」へ』には「アマテラス」は必要なかったため、「要約ノート」にずっと眠っていたわけですが、今回「卑弥呼はアマテラスなのか」を考えるにあたって、20年ぶりに日の目を見ることができ、書いておいてよかった、そんな思いがしています。
 次に、その要約ノートの『アマテラスの誕生』から、「卑弥呼はアマテラスなのか」に関係する部分についてみていくことにします。

・アマテラスは男の蛇であり、織姫でもあった。

・アマテラスは天つカミの一つ、日のカミ。特定の人間をモデルにしたとか太陽を女とみなしたとかいう単純なものではない。

・一般論としての天つカミの天降りの仕方:カミは大空を船にのってかけおり、山の頂に着き中腹を経て山麓におりる。人びとが用意しておいた樹木に天つカミの霊魂がよりつく。人びとは樹木を川のそばまで引っぱっていく。カミは木からはなれて川の流れの中にもぐり姿をあらわす(神の誕生)。カミが川中に出現するとき、カミをまつる巫女は川の中に身を潜らせ、身生れ(みあれ)するカミを流れの中からすくいあげる。巫女はカミの一夜妻となる(アマテラスの原型は男神)。

・『日本書紀』敏達天皇六年(577)に「詔して日祀部を置いた」とある。今谷文雄は『古代太陽神崇拝に関して』の中で、朝廷に日祀部を置いた敏達六年には天皇家は太陽そのものを礼拝していた(つまり日まつりを行っていた)のでありアマテラスオオカミはまだできていなかった、ということを明らかにした。天皇家はいつのころからかトーテムとしての太陽をまつるようになっていた。しかしこのころは、天つカミ=日(太陽)はどこまでも自然神であって、人格化されて天皇家の始祖とみなされるところまで至っていなかった。

・大化改新以前は天皇家はいっこうにアマテラスをまつった形跡がない(直木孝二郎『天照大神と伊勢神宮の起源』)。

・『日本書紀』には、大化改新後も天智天皇まで、アマテラスや伊勢神宮をまつったという事実はない。祖先神としてのアマテラスオオカミは天武天皇即位以前にはなかった。

・持統天皇の時代には、南伊勢地方では、そこでまつっていた天つカミを伊勢大神とよんであがめていた。このころ、皇大神宮とか天皇家の祖先神としてのアマテラスオオカミとかはまだできておらず、地方神としての伊勢大神があるだけだった。

・『日本書紀』には、日神、大日孁貴、天照大孁尊、アマテラスオオカミと書かれている。これは太陽の霊魂から天皇の祖先神化されていくプロセスを示している。

・672年の壬申の乱に天照大神の名はあらわれるが、まだ自然神だった。

・皇大神宮は文武2年(698)12月29日に成立した(『続日本紀』に「文武天皇二年十二月乙卯、多気大神宮を度会郡に遷す」とある)。

・アマテラスオオカミが天皇家の祖先神として人格をあたえられてつくりあげられたのは、天武元年(673)から文武元年(697)のあいだである。

・アマテラスオオカミの誕生は持統三年(689)以後文武二年(698)の間となる。

 以上ざっと見ただけでも、天皇家の祖先神としてのアマテラスオオカミは7世紀が終わる直前まで存在していなかったことが見て取れます。アマテラスの原型は自然神の日神ですが、自然神つまり天つ神には、そのほかに月の神、風の神、雷の神、雲の神、川の神などがあります。巫女は身生れする神を導きいれ、そして神の一夜妻となります。巫女は妻となるのですから、自然神は男性神です。日神つまりアマテラスも当然男性神なのです。卑弥呼を「日の巫女」として「アマテラス」と同一視する説がありますが、日の巫女はアマテラスの妻となるのですからアマテラス自身ではあり得ないのです。
 また、天皇家の祖先神としてのアマテラスオオカミ(初代神武天皇の五代前の祖先神)は8世紀直前に誕生したと考えられるので、アマテラスオオカミが卑弥呼であるはずはないのです。7世紀末というのは新生日本国が誕生した時代でもあり、倭国を引き継ぐ日本国には海外に負けない悠久の歴史と唯一無二の天皇家の祖先神が必要だったのだと考えられます。アマテラス神話もその一つだったのではないでしょうか。アマテラスオオカミがなぜ女性神に変身したのかはわかりませんが、「やまと」の創始者であり「やまとの王」であった男王の饒速日に対抗するためだったのかもしれません。

 「卑弥呼=アマテラス」は欠史八代説とワンセットで語られることが多いようですが、それにはもう一つの要素が必須条件になっているようです。それは各天皇の在位年です。安本氏は古代天皇から現代の天皇までの在位年の統計をとり古代天皇の在位年を割り出し、そこから神武天皇即位は300年頃としました。その結果、神武天皇から五代遡ったアマテラスの時代が卑弥呼の時代に合致するというのです。
 いかにも理論的のように聞こえますが、欠史八代も天皇在位年も、そのように考えれば、という条件が必要です。しかし私はそのようには考えていません。欠史というのであれば、初代神武天皇を入れた「欠史九代」とすべきだと思います。神武天皇即位をBC660年にしたいのであれば、八代だけではなく、50~60人くらい天皇をつくってしまえば済む話です。
 とはいえ、これはこういう考えの説なので、これ以上のことは言いませんが、このことよりも、アマテラスは歴史上の人物(卑弥呼)を神話に反映したもの、という見方はすでに破綻しているということです。アマテラスは自然神から発展したものであり、そもそも、はじめは誰もが信仰の対象としていた日の神であり男性神です。そういったアマテラスの歴史的現実を正しくみることが必要です。

 アマテラスの歴史は「卑弥呼はアマテラスではない」と明言しています。