2009年、歴史民俗博物館は、C14年代測定法により「箸墓古墳の築造直後の年代は240~260年」と発表しました。これを受け、中には、少し古すぎるのではないかと280年頃に下げ台与の墓だという人もいましたが、多くの「邪馬台国畿内説」者は、箸墓古墳は卑弥呼の墓だと、鬼の首を取ったかのように色めき立ちました。C14による科学的な年代測定ということで、「卑弥呼の墓」で確定したかのようでした。
私は、本ブログの「箸墓古墳の被葬者は誰」で、箸墓古墳は卑弥呼の墓でもなく壹(臺)与の墓でもなく、『日本書紀』がいっているように「倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトビモモソヒメノミコト)」の墓であり、倭迹迹日百襲姫命がその妻となった大物主神、すなわち饒速日尊(ニギハヤヒノミコト)を祭った祭祀場だと書きました(これは『日本書紀10の秘密』に掲載済みですが)。大物主である饒速日はイワレヒコ(神武天皇)の義理の父に当たり(『古事記』によれば、イワレヒコは大物主の娘・富登多多良伊須須岐比賣を妃としています)、イワレヒコが畿内大和に来る前は「やまと」の王でした。箸墓古墳が同時代の崇神天皇の墓より大きいのは、「やまと」の創始者であり最初の王であった饒速日の祭祀場であったことで理解できます。
C14年代測定法は信頼できるのか、という問題は当初からあったようですが、浦野文孝さんという方が「no+e」で、この問題について詳しく書かれています。本人はアマチュアだと言っていますが、私にはかなりの専門家のようにみえましたが。
説明によれば、C14年代測定法には基準がありますが、現在は当時の測定法とは異なる国際基準によらないと適合度というのが正しい値にならないということのようです。これによると、当時のものは適合度は16%となり、合格点の60%をはるかに下回っているということです。
私にはさっぱりわかりませんが、浦野さんが現在の国際基準で計算すると、箸墓古墳の築造年は「300年±15年前後」になるということです。箸墓古墳の築造が始まるのは崇神天皇10年で、私はこの年を西暦304年(305年を訂正しました)としました。「ド・ストライク」といった感じです。笠井倭人さんの「有記事年」による方法をもとにした私の紀年換算はかなりよかった、ということでしょうか。
2009年の歴博の発表に納得せず、組せず、我が道・我が方法を推し進めてきてよかった、今そんな心地よさを感じています。
私は、本ブログの「箸墓古墳の被葬者は誰」で、箸墓古墳は卑弥呼の墓でもなく壹(臺)与の墓でもなく、『日本書紀』がいっているように「倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトビモモソヒメノミコト)」の墓であり、倭迹迹日百襲姫命がその妻となった大物主神、すなわち饒速日尊(ニギハヤヒノミコト)を祭った祭祀場だと書きました(これは『日本書紀10の秘密』に掲載済みですが)。大物主である饒速日はイワレヒコ(神武天皇)の義理の父に当たり(『古事記』によれば、イワレヒコは大物主の娘・富登多多良伊須須岐比賣を妃としています)、イワレヒコが畿内大和に来る前は「やまと」の王でした。箸墓古墳が同時代の崇神天皇の墓より大きいのは、「やまと」の創始者であり最初の王であった饒速日の祭祀場であったことで理解できます。
C14年代測定法は信頼できるのか、という問題は当初からあったようですが、浦野文孝さんという方が「no+e」で、この問題について詳しく書かれています。本人はアマチュアだと言っていますが、私にはかなりの専門家のようにみえましたが。
説明によれば、C14年代測定法には基準がありますが、現在は当時の測定法とは異なる国際基準によらないと適合度というのが正しい値にならないということのようです。これによると、当時のものは適合度は16%となり、合格点の60%をはるかに下回っているということです。
私にはさっぱりわかりませんが、浦野さんが現在の国際基準で計算すると、箸墓古墳の築造年は「300年±15年前後」になるということです。箸墓古墳の築造が始まるのは崇神天皇10年で、私はこの年を西暦304年(305年を訂正しました)としました。「ド・ストライク」といった感じです。笠井倭人さんの「有記事年」による方法をもとにした私の紀年換算はかなりよかった、ということでしょうか。
2009年の歴博の発表に納得せず、組せず、我が道・我が方法を推し進めてきてよかった、今そんな心地よさを感じています。
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