それでは②はどのように読めばよいのでしょうか。その鍵を握っているのは間違いなく「故」です。それともう一つは「之」です。
「故」には、よく知られている意味のほかにどのような意味があるのか、「漢和大字典」で調べてみました。「ゆえ(に)」を筆頭に「ふるい」「もとより」とあります。「ゆえ(に)」「ふるい」はこれまでの②の訳には使われているので、「もとより」が最重要候補です。
つぎに「之」です。今までの説は「之」をみな「倭」のこととしています。今、「故」を「もとより」と訳し、「之」は「これ」として「倭是国名不謂用墨故謂之委也」を訳してみます。すると「倭は国名である。墨を用いることをいうのではなく、もとよりこれを委というのである」となります。ここで「倭是国名不謂用墨」に焦点をあてると、これは「墨を用いる(顔に入墨をする)ことを倭とはいわない」という意味の文になっていることがわかります。そうするとつぎの「もとよりこれを委というのである」の「これ」は「倭」のことではなく、「墨を用いる(顔に入墨をする)こと」を指していることがわかります。
したがって、②はつぎのようになります。
② 臣瓚曰 倭是国名 不謂用墨 故謂之委也
訳文は
② 倭は国名である。顔に入墨をすることを倭というのではなく、もとより、顔に入墨をすることを委というのである。
となります。「もとより」は「事の起こりのはじめから」という意味になります。これなら、「不謂・・・謂・・・」問題もなく、すっきりです。「故」の意味も重要でしたが、「之」が何を指しているのかはもっと重要だったのです。これが今の私の顔師古注の最新の解釈になります。
ここで、これまでわかったことをもとに、金印「漢委奴国王」は偽造なのかどうか、ということについて私見を述べておきたいと思います。金印が本物か偽物かの検証は、科学的方法も含めていろいろあると思いますが、これまで「倭」と「委」についてみてきたので、この関わり合いから考えてみることにします。
この金印の「委奴国」は『後漢書』倭伝の「倭奴国」だとみてよいと私は思っています。とすれば、金印は一世紀中頃のものとなります。今までみてきたように、倭を記録した史書では一番古い『山海経』でも「倭」を「委」と書いた記録はなく、七世紀中頃に書かれた顔師古注においても、「倭」を「委」だとする見解は否定されています。ところが金印では「倭奴国」が「委奴国」と彫られているのです。「倭」とすべきところが「委」となっていることが偽造の証拠のように考えられがちですが、それは逆です。偽造だとすると、偽造者は間違いのないよう中国史書をよく読むはずであり、中国史書には「委奴国」と書かれたものはなかったわけですから、偽造者は偽造と思われないように、史書に忠実に「倭奴国」と彫るはずなのです。しかし現実は「委奴国」です。偽造ではない可能性のほうが高いということになります。
それではなぜ本物は「委奴国」だったのでしょか。中国には中華思想がありました。中国は世界の中心であり、周りの国はすべて中国に従うべき存在であると考えていました。倭人の国も当然、中国に従うべき存在でした。そんな倭人の国が遠路はるばる中国に朝貢してきたのです。金印はそのご褒美ということになりますが、倭人の国は東の隅にあることから東夷と呼ばれており、中国からしてみれば、下位の下位です。金印を与えるにしても決して持ち上げっぱなしにはしなかったはずです。それが「委」という字だった、と私は考えるのです。
「委」は「倭」から「亻(にんべん)」をとったものです。金印を与える代わりに、正規の漢字から偏を省略し、中国の権威を暗に示したのです。特にこの場合、「ひと」を意味する「亻(にんべん)」ですから、その効果は大きかったはずです。これは私の見方ですが、金印の「委」は「倭」の略字であることは認めてよいと思います。
【「委」は「顔に入墨をする」という意味であるが、これは「倭」を意味するものではない】というのが、古代の中国歴史学者の見解となりますが、金印に彫られた「委奴国」の「委」は「倭」のことだということになります。このことがわかるのは、遙かのち、19世紀のことですが、いずれにしても、如淳の【「倭」は、顔に入墨をすること(委)からそう呼ばれているのではないか】という見方は、「委=倭」である金印においても否定されてしまうようです。
「故」には、よく知られている意味のほかにどのような意味があるのか、「漢和大字典」で調べてみました。「ゆえ(に)」を筆頭に「ふるい」「もとより」とあります。「ゆえ(に)」「ふるい」はこれまでの②の訳には使われているので、「もとより」が最重要候補です。
つぎに「之」です。今までの説は「之」をみな「倭」のこととしています。今、「故」を「もとより」と訳し、「之」は「これ」として「倭是国名不謂用墨故謂之委也」を訳してみます。すると「倭は国名である。墨を用いることをいうのではなく、もとよりこれを委というのである」となります。ここで「倭是国名不謂用墨」に焦点をあてると、これは「墨を用いる(顔に入墨をする)ことを倭とはいわない」という意味の文になっていることがわかります。そうするとつぎの「もとよりこれを委というのである」の「これ」は「倭」のことではなく、「墨を用いる(顔に入墨をする)こと」を指していることがわかります。
したがって、②はつぎのようになります。
② 臣瓚曰 倭是国名 不謂用墨 故謂之委也
訳文は
② 倭は国名である。顔に入墨をすることを倭というのではなく、もとより、顔に入墨をすることを委というのである。
となります。「もとより」は「事の起こりのはじめから」という意味になります。これなら、「不謂・・・謂・・・」問題もなく、すっきりです。「故」の意味も重要でしたが、「之」が何を指しているのかはもっと重要だったのです。これが今の私の顔師古注の最新の解釈になります。
ここで、これまでわかったことをもとに、金印「漢委奴国王」は偽造なのかどうか、ということについて私見を述べておきたいと思います。金印が本物か偽物かの検証は、科学的方法も含めていろいろあると思いますが、これまで「倭」と「委」についてみてきたので、この関わり合いから考えてみることにします。
この金印の「委奴国」は『後漢書』倭伝の「倭奴国」だとみてよいと私は思っています。とすれば、金印は一世紀中頃のものとなります。今までみてきたように、倭を記録した史書では一番古い『山海経』でも「倭」を「委」と書いた記録はなく、七世紀中頃に書かれた顔師古注においても、「倭」を「委」だとする見解は否定されています。ところが金印では「倭奴国」が「委奴国」と彫られているのです。「倭」とすべきところが「委」となっていることが偽造の証拠のように考えられがちですが、それは逆です。偽造だとすると、偽造者は間違いのないよう中国史書をよく読むはずであり、中国史書には「委奴国」と書かれたものはなかったわけですから、偽造者は偽造と思われないように、史書に忠実に「倭奴国」と彫るはずなのです。しかし現実は「委奴国」です。偽造ではない可能性のほうが高いということになります。
それではなぜ本物は「委奴国」だったのでしょか。中国には中華思想がありました。中国は世界の中心であり、周りの国はすべて中国に従うべき存在であると考えていました。倭人の国も当然、中国に従うべき存在でした。そんな倭人の国が遠路はるばる中国に朝貢してきたのです。金印はそのご褒美ということになりますが、倭人の国は東の隅にあることから東夷と呼ばれており、中国からしてみれば、下位の下位です。金印を与えるにしても決して持ち上げっぱなしにはしなかったはずです。それが「委」という字だった、と私は考えるのです。
「委」は「倭」から「亻(にんべん)」をとったものです。金印を与える代わりに、正規の漢字から偏を省略し、中国の権威を暗に示したのです。特にこの場合、「ひと」を意味する「亻(にんべん)」ですから、その効果は大きかったはずです。これは私の見方ですが、金印の「委」は「倭」の略字であることは認めてよいと思います。
【「委」は「顔に入墨をする」という意味であるが、これは「倭」を意味するものではない】というのが、古代の中国歴史学者の見解となりますが、金印に彫られた「委奴国」の「委」は「倭」のことだということになります。このことがわかるのは、遙かのち、19世紀のことですが、いずれにしても、如淳の【「倭」は、顔に入墨をすること(委)からそう呼ばれているのではないか】という見方は、「委=倭」である金印においても否定されてしまうようです。
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