中国正史で日本列島の代表国に関する記述があるのは、日本国が出現する『旧唐書』までで11史書あり、次の『新唐書』を含めると12史書あります。その後はすべて日本国として記録されていき、倭国と日本国の関係の歴史を考えるにはこれら12の正史が必要になります。ただその中にはそれまでの正史を編纂者の書き方で書き替えただけのものもあり、オリジナルな記事があるのは、『後漢書』『魏志』『宋書』『隋書』『旧唐書』『新唐書』の六書になります。
 ここでは倭国と日本国の違いを示すものや邪馬壹(臺)の位置に限定し、『魏志』とこれらの記事がない『宋書』を除く四書について、そこからは何がわかるのか、みてみたいと思います。

【後漢書】

◯57年、倭奴国が後漢に奉貢朝賀した。光武帝は印綬を授けた。倭奴国は倭国の極南界に位置していた。 

説明:印綬は志賀島出土の「漢委奴国王」金印だとすると、倭奴国は博多湾周辺に位置する国であり、倭人の国は博多湾周辺を南限として朝鮮半島南部にかけてあったことになります。金印偽造説などもありますが、本物の金を使ってそこまでする必要性を私は感じません。

【隋書】

◯その(俀国の)国境は東西五月行、南北三月行で四面は海である。邪靡堆を都としているが、『魏志』でいう邪馬臺である。

説明:俀国は東西対南北の比が5:3の島国であると言っていますが、邪靡堆への行路では「東」は「南」のことなので、真実の東西対南北の比は3:5となります。

◯魏から斉・梁に至るまで代々中国と互いに通交している。

説明:俀(倭)国は魏(卑弥呼の時代)から斉・梁(隋が統一する前の時代)を経て今の時代(隋)まで中国と通交していると、中国側が証明しています。

◯阿蘇山がある。

説明:阿蘇山があるところは九州です。九州は大きな島であり、東西対南北の比はおおよそ3:5で俀国の地理地形そのものです。

◯煬帝は文林郎裴清を俀国に遣わした。百済を渡り・・・都斯麻国を経て・・・また東へ行くと一支国に着き、また竹斯国に着き・・・また東へ行くと秦王国に着いた。・・・また十数か国を通っていくと海岸に着いた。

説明:『魏志』倭人伝の邪馬壹国への行路では「対海国(対馬)➪一大国(壱岐)」の方角は「南」でしたが『隋書』では「東」となっています。時計回りに90度ずれていることがわかります。したがって秦王国は大宰府方面にあり、十数か国は筑紫平野にあったと考えられます。そこから到着する海岸は有明海北東部以外には考えられません。

【旧唐書】倭国・日本国

(1)倭国

◯倭国は古の倭奴国である。

説明:倭国は倭奴国を含んだ全体の国名ですから、倭国は倭奴国ではありません。倭国は倭奴国から始まったという意味ではないかと思っています。

◯東西は五月行、南北は三月行である。四面の小島五十余りも倭国に附属している。

説明:『旧唐書』は、倭国は『隋書』の俀国であることを認めています。

◯これまでずっと中国と通交していた。

説明:『隋書』まで書かれてきた俀(倭)国であることを認めています。

(2)日本国

〇日本国は倭国の別種である。

説明:中国側は、この時点では、日本国は倭国ではないことを知っていたことになります。

◯国の境は東西南北それぞれ数千里で、西の境と南の境はみな大きな海に接し、東の境と北の境は大きな山で閉ざされ、その外は毛人の国である。

説明:この日本国の地理地形は、明らかに奈良を中心とした近畿地方を表しています。

【新唐書】日本

〇日本は古の倭奴である。

説明:『旧唐書』の倭国が日本にすり替わっています。これは中国側の大きな方針転換です。

〇東西は五月行、南北は三月行である。

説明:『隋書』『旧唐書』と書かれてきた倭国の地形が日本の地形とされています。

〇次に用明。また「目多利思比孤」ともいう。隋の開皇末にあたる時代にはじめて中国と通交した。

説明:「目多利思比孤」の「目」は「手下」という意味あいがあるようです。開皇は581~600年で開皇末は590年代後半となり推古天皇の時代となりますが、文脈からは用明天皇の時代と受けとれます。用明天皇の時は初めてのことなので倭国に付いて中国に行ったのではないかと思われます。

〇都は東西南北それぞれ数千里で、南西は海で、東北は山で閉ざされ、その外には毛人がいる。

説明:これは『旧唐書』の日本国の地理地形と同じです。しかしここでは、日本国ではなく日本国の「都」となっています。日本の地理地形は『隋書』『旧唐書』の倭国そのものになっていますので、これは、日本が倭国の地を併せ、かつての日本国が日本国全体の都になったことを示唆しています。『新唐書』が『旧唐書』の「日本旧小国併倭国之地(日本は昔小国だったが、倭国の地を併合した)」を証明していることになります。

 以上のように、『魏志』以外でも、これらの中国正史四史書はこれだけの情報を持っています。『魏志』に書かれていることを操作したり、無視したり、偽書呼ばわりしなくても、これらの史書間の整合性を捉えることで日本列島の古代の歴史は明らかになっていくはずです。要は史料に問題があるのではなく、研究者の研究姿勢に問題があるだけの話なのです。

 ”卑弥呼はいなかった、邪馬台国はなかった、『魏志』倭人伝は偽書だ、中国史書の日本列島に関する記事は嘘だらけ” などという前に、やることはきちんとやってもらいたいものだと思うのは私だけなのでしょうか。
 それと日本古代史研究者を自認するのであれば、中国正史にも日本の古代史文献資料にも存在しない「邪馬台国」という国名表記を使用するのはもうやめにしましょう。正しい漢字を使用しないと、史料を見る目が曇ってきますよ。