『隋書』は日本古代史研究者がほとんど取り上げることのない史書ですが、最近、YouTubeでたまーに「俀国伝」の解説らしきことをしているのを見かけることがあります。
 しかし、そこにあるのは『日本書紀』に侵されたヤマト至上主義で、俀国は「東西五月行南北三月行各至於海」(東西対南北=5:3)という地形をした島国(『隋書』俀国伝では『魏志』倭人伝の「南」を「東」と表現しているので、俀国は、実際は「東西対南北=3:5」となる地形をした島国となる)で、そこには阿蘇山がある(有阿蘇山)ということについては、そのように書かれているというだけで、その内容についてはまったく説明しようとはしていません。
 私が『隋書』俀国伝に書かれている、これらのことを検討することで邪靡堆(邪馬臺・邪馬壹)にたどり着いたことを『市民の古代』に発表してからすでに31年(「『隋書俀国伝』の証明」の出版から25年)経ちますが、いまだ『隋書』俀国伝に対する評価は変わっていないようです。
 
 『隋書』俀国伝は、倭国は九州島であることを示し、ヤマトではないことを明らかにしていますが、次の時代の唐を描いた『旧唐書』もこのことを追加で証明しています。『旧唐書』は、倭国の地形を『隋書』の記録とほぼ同様に記し、日本国については「日本国者倭国之別種也」、つまり日本国は倭国ではないと書き、その地形については「其国界東西南北各数千里西界南界咸至大海東界北界有大山為限山外即毛人之国」と記し、日本国の地形は倭国の地形とは物理的にまったく一致していないことを示しています。日本国は「倭国之別種」なのですから、これは当たり前のことなのですが、こういったことが気にくわない人が大勢いるようです。
 『隋書』は単独でも、俀(倭)国は九州島であることを示し、邪靡堆(邪馬臺・邪馬壹)のおおよその位置を教えてくれますが、『旧唐書』はさらに、倭国が九州島であること、日本国は倭国とは別国で畿内にあったことを決定的にしています。それでも倭国は畿内のヤマトであり、邪馬台国は畿内ヤマトだというのは、私にはまったく理解できません。

 「邪靡堆(邪馬臺・邪馬壹)は畿内ヤマトであり、倭国は畿内ヤマトが大きく成長したものである」と考えている人は、これらのことをどのよう理由で否定するのか教えてもらいたいな、と思ったりしています。これはあくまでも文献史学としてです。「中国人が書いたものはあてにならない」はダメです。
 
※YouTubeであっても、『隋書』が取り上げられるようになったのは一つの進展かもしれませんね。