日本古代史一人旅

必要なのは 結論ありきのストーリーではなく 史料に基づいたヒストリー

2022年06月

 倭奴国は古くから博多湾周辺にあり、倭諸国の最南部に位置し、しかもその代表国となり、のちには倭国としての王を輩出した。したがって、もし、壱岐、対馬、朝鮮半島方面から渡ってきて、倭奴国より南に国をつくろうとする者がいたとしても、倭奴国に阻まれ南下できなかっ ...

 邪馬壹(臺)国はの位置は、『隋書』俀国伝から、俀国の都・邪靡堆として求めることができた。そしてそれは『魏志』倭人伝の行路が何を示しているのかを教えてくれた。わかっている歴史とわかっている歴史の間の不確定な歴史は、わかっている歴史からその歴史的背景などを ...

  坂田隆氏はその著『日本の国号』で、金印の「漢委奴国王」の「委奴」は総国(総体としての国の意)、つまり倭国であるとしている。しかし『後漢書』倭伝によれば、倭奴国は「倭国の極南界」にある倭国の中の一つの国であり、総体としての倭国ではないことは明らかである ...

 金印の「漢委奴国王」は、今までにいろいろな読み方がされてきた。定説的な読み方は「漢の委の奴国王」と三段に切る読み方である。しかし、漢から授けられた金印を調べると、このように三段に切る読み方はなく、すべて、「漢-国名」と二段読みになっていることから、「漢 ...

 それではその倭奴国はどこにあったのだろうか。 倭奴国の中心地は、普通に考えれば、金印が発見された志賀島周辺が最有力地となるが、金印が発見されたその場所は、遺跡というにはあまりにも粗末だったというから、志賀島周辺にそれは求めにくい。かといって、あまり離れ ...

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