日本古代史一人旅

必要なのは 結論ありきのストーリーではなく 史料に基づいたヒストリー

2022年05月

 『魏志倭人伝』の不弥国は博多湾に面した福岡市辺りにあった国だったことがわかりました。『隋書俀国伝』からは、竹斯国は博多湾を港に持つ国であることがわかっています。つまり、『魏志倭人伝』の不弥国から邪馬壹国までの行路は、『隋書俀国伝』の竹斯国から筑紫平野経 ...

 帯方郡から伊都国までの一里の平均は90.5メートルであるが、平均する前の一里は、二点間の最短距離は33メートル、最長距離は138メートルとなる。これは確実とされる地点間の距離であり、『魏志倭人伝』に表記された里数から導かれた事実である。 このことからそ ...

 里数については、”一里は何メートルなのか”、またそれは、”長里で書かれているのかそれとも短里で書かれているのか”ということが問題にされている。一里の長さによって、各国の比定地が大きく変わるからだ。 これはどのように考えればよいのだろうか。私は短里、長里 ...

 不弥国から邪馬壹国までの距離は約1300里だということはわかっても、不弥国がどこにあったのかがわからないと何の意味もなくなる。一里は何メートルかを調べる必要がある。一般的にはこの時代の一里は約400メートル強だったとみられているが、実際の距離と大きく異 ...

 『隋書俀国伝』の行路記事に真摯に向かい合うことによって、邪靡堆(『魏志倭人伝』の邪馬壹)は有明海北東部沿岸の筑紫平野から菊池平野にかけてあり、俀王の居城は有明海北東部沿岸にあったことを知った。この結果と『魏志倭人伝』の行路記事を重ね合わせることによって ...

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