日本古代の歴史は未だにぐちゃぐちゃしていますが、本来それは単純明快なのものであり、それを解く方法も実は簡単なのです。前回お話ししたように、日本古代史を混迷させ複雑にしたのは研究者の姿勢にあるのです。
 今回、日本古代史がいかに単純明快であるか、ということをわかっていただくために、主要文献記録の重要項目を時系列の表にしてみました。文献は中国正史で、倭人、倭(国)を記録している史書及び日本(国)の登場を記録している史書の中からオリジナルな記録となっている、私がいつも言っている六書を対象としました。時系列は文献が対象としている時代順としています。『古事記』『日本書紀』は時系列上での参考として載せています。

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 この表で特に重要なのは、「都への行路」「地理・地形」「軽視されている記事」です。
 『隋書』の「中心国(都)」のところで「邪靡堆」は「魏志の邪馬臺」であるとしていることから、①と②の行路の終点は同じ邪馬臺であることがわかります。邪馬臺である邪靡堆は「地理・地形」の Ⓐ という形状をした島の中にあります。 Ⓐ は、「『魏志』の南は東」を考慮すれば、明らかに九州島を表しています。このことから、邪馬臺は九州内にあり、畿内ではないことがはっきりわかります。
 『旧唐書』には倭国条と日本国条があり、日本国は「倭国の別種」であると、倭国ではないことがはっきりと書かれています。倭国の地理・地形は『隋書』の Ⓐ に倣っています。一方日本国の地理・地形は Ⓑ のようであり、倭国の地理・地形とはまったく異なります。 Ⓑ は畿内を表しています。
 『新唐書』に至ると、倭国条が消え日本条のみになり、その地理・地形は倭国の地理・地形 Ⓐ に、その都は『旧唐書』の日本国の地理・地形 Ⓑ になっています。これは、日本が倭国の地を併せ、かつての日本国だったところが日本の都になったことを示しています。
 『旧唐書』には、倭国は「世與中国通」とあり、『新唐書』には、日本は「隋開皇末始與中国通」とあり、倭国は中国とは古くからの付き合いであるけれども、日本は比較的新しい付き合いの国であることがわかります。しかし研究者の中には、「倭国=日本」として、これらの記録を軽視どころか完全無視という人もいます。文献記録を都合のよいように扱っているのがよくわかります。これでは日本古代史界は真っ暗闇です。

 この表は見ての通り簡単です。でも、史実はこうなっているのです。実に単純明快なのです。それを自説に合わせようといろいろ細工するから、史実とはまったく異なったごちゃごちゃの歴史になってしまうのです。史料を正確に読み解釈することよりも、思い込みやこうあるべきだといった自己本位の見方が巣食っているように私にはみえます。

 文献の示すところは実に明快です。これは信じるも信じないもないのです。そのまま理解すればよいだけのことです。あっと驚くような説は、読んでも見ても聞いても面白いかもしれませんが、文献そのものが示す単純明快な史料事実はもっと面白いのです。「事実は小説よりも奇なり」です。この表に従って原文をもう一度読んでみてください。これまでとは異なった感覚とともに、単純明快な日本古代の歴史が見えてくるはずです。