二週間ほど前になりますが、私のホームぺージの「FORM」にある方から情報提供をいただきました。それはmixiに掲載されている『「邪馬臺」を中国語の上古音で読んでみる』が私の説に使えるのではないか、というものでした。
 
 このことについて考える前に、一つ取り上げておきたい問題があります。それは「邪馬壹」「邪馬臺」は倭人がつけた国名なのか中国人がつけた国名なのか、ということです。私は「邪馬臺」は倭人がつけた国名で、「邪馬壹」は中国人がつけた国名だと考えています。「臺」は「天子の宮殿」を意味する漢字で、この時代、夷蛮が国名に「臺」を使うことなど許されなかったと、かつて古田武彦氏は言っています。私も同じように考えています。著者陳寿は「邪馬臺」と呼ばれた倭人国を「邪馬壹」で代理させたのです。その後魏の時代は過ぎたとしても、中国側が「邪馬壹」としたものを自分からわざわざ「邪馬臺」と書き直すことなどあり得ません。もともと「邪馬臺」だったのです。「邪馬臺」は倭人による倭人国の名であり、「邪馬壹」は『魏志』においてのみ中国側が使用した倭人国の名だったということです。『魏志』以外の史書で「邪馬臺」と中国側が記録しているということは、倭人自身が「邪馬臺」という漢字を知っていてもいなくても、その国名の音は「邪馬臺」によって表現できるものだったことになります。

 このようなことから、『「邪馬臺」を中国語の上古音で読んでみる』では「邪馬壹」の発音についても書かれていますが、ここでは「邪馬臺」の発音に絞り紹介したいと思います。この方は中国語の言語学者の『漢字古音手冊』という「昔の漢字の発音辞典」(のようなもの)を参考としており、勝手な思いで書かれたものではないということを申し添えておきます。

 発音についての結論を言いますと、「邪馬」の部分はいろいろな発音があるようですが、「臺」は上古音で「ダー」、現代音で「たイ」と発音される、とのことです。皆が知りたがっているのは卑弥呼の時代の卑弥呼の国の名前ですから、「臺」は「ダー」と発音されていたことになり、国名は「〇〇だー」となります。「〇〇」がどのように発音されたとしても、「〇〇だー」は「やまと」にはならないということは、小学生でもわかります。

 中国側は『魏志』では「邪馬壹国」と書きましたが、卑弥呼の国がどのように呼ばれていたのかということについてはさほど関心がなかったのではないかという気がします。『後漢書』や『隋書』では「ダー」「タイ」と読める漢字(臺、堆)が使われるようになりますが、『魏志』では「壹」が使われ続けます。倭人による発音はどうだったのかというより、『魏志』が書かれた時代は中国にとっては意味を持つ漢字表現が重要だったのではないかということが伺われます。
 「邪馬臺」は倭人がつけた国名で倭人自身が「邪馬臺」と書いたとすると、それは当時の中国音によっているはずであり、倭人が発音した音をもとに中国人が「邪馬臺」と書いたとしても、その国名は「〇〇だー」だった可能性が非常に高いことになります。逆に倭人が「やまと」と発音していた国名を、中国側が「邪馬壹」あるいは「邪馬臺」と書いたとした場合、ほかにも音が一致する漢字がいくらでもあるにもかかわらず、音が一致しない漢字である「壹」そして「臺」を使用したことになり、これにはなぜそうなったのか、きちんとした説明が必要になります。

 私はこれまで、「臺」は日本古代音韻学上「ト」とは読まない、と言い続けてきました。そして今回、中国の上古音でも「ト」とは発音しないということを示す資料があることを知りました。古代日本列島においても、古代中国においても、「邪馬臺」は「やまと」と発音されていなかったのです。

 あなたはそれでも「邪馬臺」を「やまと」と読みますか?