安本美典氏は、「『魏志』倭人伝などの中国の古典、『古事記』『日本書紀』などの国内文献、考古学上の諸事実を合わせて考えていく場合のみ、邪馬台国問題は解決する」と言っています。また、「『魏志』倭人伝などの国外資料が、時代を教え、『古事記』『日本書紀』などの国内資料が、場所を教えてくれる。また、考古学的な遺物は、文献上の推論が妥当であったのかどうかを、事実によって検証する道を教えてくれる」と言っています。
安本氏の言っているこれらの論は、一見正論のように見えますが、ちょっと待っていただきたいのです。その前に確認しておかなければならない重要な問題があります。それは、『古事記』『日本書紀』などの国内文献が記している事件と『魏志』倭人伝などの国外資料が記している事件は同じなのか、ということです。このことが確認できていなくては安本氏の論は全く虚しいものになってしまいます。
『隋書』は、俀(倭)国はそれまで継続して九州島にあったことを示し、『旧唐書』は、倭国は九州島であり、日本国は畿内にあったことを示しています。一方『日本書紀』は畿内大和を中心とした「やまと」の歴史になっています。この事実を見ただけでも、中国の資料と日本の資料を合わせても合うはずはなく、時代と場所も当然合うはずはありません。普通の読解力のある人が『旧唐書』までの中国正史を読めば、このことは理解できるはずです。しかし安本氏の論のように、多くの研究者は一生懸命二種類の資料の事件を合わせようと理不尽な説を唱えています。その最たるものは、『隋書』の俀王・阿毎多利思北孤を「やまと」の天皇にあてる説です。俀王多利思北孤には妻がいました。ところが、このときの「やまと」の天皇は女帝推古天皇だったので、隋の使者裴清が面会したのは本当は聖徳太子だったというのです。聖徳太子は自分を「やまとの王」だと言って隋の使者に嘘をついたことになります。これはほんの一例に過ぎませんが、こんなことを研究の名のもとに学者が言うなんて、私にはとても信じられないことです。これはまさしく安本論の実践編です。
安本論が通用するのは、中国の資料と日本の資料が同じ事件を指している場合のみなのです。もし安本論を実践するのであれば、中国の資料と日本の資料の記録が同じ事件を示していることを証明する必要があります。しかしながら、そういう人は一人もいません。既成事実のように扱っています。こういう場合、多くの研究者は中国資料は捨て『日本書紀』を優先しています。悲しいことですが、学者の皆さんは『日本書紀』に完全に洗脳されてしまっているんたな、と思うしかないようです。霧はますます深くなる一方のような・・・。
安本氏の言っているこれらの論は、一見正論のように見えますが、ちょっと待っていただきたいのです。その前に確認しておかなければならない重要な問題があります。それは、『古事記』『日本書紀』などの国内文献が記している事件と『魏志』倭人伝などの国外資料が記している事件は同じなのか、ということです。このことが確認できていなくては安本氏の論は全く虚しいものになってしまいます。
『隋書』は、俀(倭)国はそれまで継続して九州島にあったことを示し、『旧唐書』は、倭国は九州島であり、日本国は畿内にあったことを示しています。一方『日本書紀』は畿内大和を中心とした「やまと」の歴史になっています。この事実を見ただけでも、中国の資料と日本の資料を合わせても合うはずはなく、時代と場所も当然合うはずはありません。普通の読解力のある人が『旧唐書』までの中国正史を読めば、このことは理解できるはずです。しかし安本氏の論のように、多くの研究者は一生懸命二種類の資料の事件を合わせようと理不尽な説を唱えています。その最たるものは、『隋書』の俀王・阿毎多利思北孤を「やまと」の天皇にあてる説です。俀王多利思北孤には妻がいました。ところが、このときの「やまと」の天皇は女帝推古天皇だったので、隋の使者裴清が面会したのは本当は聖徳太子だったというのです。聖徳太子は自分を「やまとの王」だと言って隋の使者に嘘をついたことになります。これはほんの一例に過ぎませんが、こんなことを研究の名のもとに学者が言うなんて、私にはとても信じられないことです。これはまさしく安本論の実践編です。
安本論が通用するのは、中国の資料と日本の資料が同じ事件を指している場合のみなのです。もし安本論を実践するのであれば、中国の資料と日本の資料の記録が同じ事件を示していることを証明する必要があります。しかしながら、そういう人は一人もいません。既成事実のように扱っています。こういう場合、多くの研究者は中国資料は捨て『日本書紀』を優先しています。悲しいことですが、学者の皆さんは『日本書紀』に完全に洗脳されてしまっているんたな、と思うしかないようです。霧はますます深くなる一方のような・・・。
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