日本古代史で必須の史料は『魏志』倭人伝、というのは高校生位の年齢ならば誰もが知っていることで、それを否定する人はいませんでした。『魏志』倭人伝を紐解き、卑弥呼の国はどこにあったのか、専門家から在野の研究家、あるいはまったくの素人までが夢中になっていた時代もありました。最近は古代史熱も冷め、これといった新しい発見もなく、だいぶ静かになっている感がします。
私が日本古代史に興味を持つようになり、『魏志』倭人伝を読み、そして思ったことは、『魏志』倭人伝からは卑弥呼の国・邪馬壹(臺)国を探しだすことはできない、ということでした。『魏志』倭人伝はどのようにでも解釈ができるのです。それはそれまでの「邪馬台国研究史」が証明しています。これは『魏志』倭人伝が悪いのではなく『魏志』倭人伝のみに頼っていたそれまでの研究方法がいけなかったのです。
こういった研究史が続く中、ついて出てきたのが、『魏志』倭人伝否定論です。『魏志』倭人伝は『日本書紀』を見て創作したもので、邪馬台国も卑弥呼も存在しないというのです。しかしこれは中国史書を無視した逃避論だと私は思っています。
『日本書紀』が成立したのは720年で、『三国志』が編纂されたのは280年代とされています。普通に考えれば、『日本書紀』を見て『魏志』倭人伝を書くことは不可能です。多分『魏志』の倭人伝だけ後から追加されたものと疑っているのではないかと思いますが、それもあり得ないのです。636年に完成した『隋書』列伝の俀国には、「都於邪靡堆則魏志所謂邪馬臺者也」とあり、『魏志』には「邪馬臺」とあったことがはっきりと記されています(正しくは「邪馬壹」なのですが)。432年頃完成した『後漢書』には「邪馬臺」も「卑弥呼」の名も書かれています。仮に『魏志』倭人伝を偽物だとする理由が存在したとしても、『後漢書』や『隋書』まで否定できる理由はどこにもないはずです。
こういった論が登場するのは、「『魏志』倭人伝をどんなに研究しても邪馬台国の所在はわからない」という、これまでの研究状況があるからです。しかしこのことをもって『魏志』倭人伝を否定することは研究からの逃避であり、『魏志』倭人伝にその責任を転嫁しているだけで、そこからしか日本の古代史を求めなかったものの責任回避にほかなりません。日本の古代は『魏志』だけに書かれているわけではないのです。歴史は時間の流れの中の重要な事象の記録です。時間の流れの中で捉えなければ歴史にはなりません。『魏志』倭人伝は日本古代史研究にとって必要かつ重要な史書であることは間違いありません。ただ、使う人が使い道を誤り深い霧に変えてしまっただけなのです。この深い霧の中から抜け出すためには、普通に歴史の研究方法をもってすればよいことなのですが、こと日本古代史になると、なぜかそれが難しいようです。
倭・倭人・倭国が登場し日本国が出現する時代までを記した中国正史のうち、オリジナルティのある『後漢書』『魏志』『宋書』『隋書』『旧唐書』『新唐書』から、倭国の成長、日本国の生い立ち、この二つの国の関係性を時間の流れの中で捉えていけば、日本列島の古代の歴史の大要はつかめるはずです。『魏志』倭人伝を重視し過ぎた研究に、自説に合うよう他の史書をつまみ食いした「いいとこどり」の研究方法が霧の増長を助けていることに早く気が付くべきです。上記六書には先入観を捨て真摯に向かい合うことが絶対条件になります。
私が日本古代史に興味を持つようになり、『魏志』倭人伝を読み、そして思ったことは、『魏志』倭人伝からは卑弥呼の国・邪馬壹(臺)国を探しだすことはできない、ということでした。『魏志』倭人伝はどのようにでも解釈ができるのです。それはそれまでの「邪馬台国研究史」が証明しています。これは『魏志』倭人伝が悪いのではなく『魏志』倭人伝のみに頼っていたそれまでの研究方法がいけなかったのです。
こういった研究史が続く中、ついて出てきたのが、『魏志』倭人伝否定論です。『魏志』倭人伝は『日本書紀』を見て創作したもので、邪馬台国も卑弥呼も存在しないというのです。しかしこれは中国史書を無視した逃避論だと私は思っています。
『日本書紀』が成立したのは720年で、『三国志』が編纂されたのは280年代とされています。普通に考えれば、『日本書紀』を見て『魏志』倭人伝を書くことは不可能です。多分『魏志』の倭人伝だけ後から追加されたものと疑っているのではないかと思いますが、それもあり得ないのです。636年に完成した『隋書』列伝の俀国には、「都於邪靡堆則魏志所謂邪馬臺者也」とあり、『魏志』には「邪馬臺」とあったことがはっきりと記されています(正しくは「邪馬壹」なのですが)。432年頃完成した『後漢書』には「邪馬臺」も「卑弥呼」の名も書かれています。仮に『魏志』倭人伝を偽物だとする理由が存在したとしても、『後漢書』や『隋書』まで否定できる理由はどこにもないはずです。
こういった論が登場するのは、「『魏志』倭人伝をどんなに研究しても邪馬台国の所在はわからない」という、これまでの研究状況があるからです。しかしこのことをもって『魏志』倭人伝を否定することは研究からの逃避であり、『魏志』倭人伝にその責任を転嫁しているだけで、そこからしか日本の古代史を求めなかったものの責任回避にほかなりません。日本の古代は『魏志』だけに書かれているわけではないのです。歴史は時間の流れの中の重要な事象の記録です。時間の流れの中で捉えなければ歴史にはなりません。『魏志』倭人伝は日本古代史研究にとって必要かつ重要な史書であることは間違いありません。ただ、使う人が使い道を誤り深い霧に変えてしまっただけなのです。この深い霧の中から抜け出すためには、普通に歴史の研究方法をもってすればよいことなのですが、こと日本古代史になると、なぜかそれが難しいようです。
倭・倭人・倭国が登場し日本国が出現する時代までを記した中国正史のうち、オリジナルティのある『後漢書』『魏志』『宋書』『隋書』『旧唐書』『新唐書』から、倭国の成長、日本国の生い立ち、この二つの国の関係性を時間の流れの中で捉えていけば、日本列島の古代の歴史の大要はつかめるはずです。『魏志』倭人伝を重視し過ぎた研究に、自説に合うよう他の史書をつまみ食いした「いいとこどり」の研究方法が霧の増長を助けていることに早く気が付くべきです。上記六書には先入観を捨て真摯に向かい合うことが絶対条件になります。
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