箸墓古墳は宮内庁により倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)陵に比定されています。しかし、「邪馬台国畿内説」のかなりの人たちが卑弥呼の墓だと主張しています。理由は
① 年輪年代法や放射性炭素(C14)年代測定法によれば、卑弥呼の時代はすでに古墳時代に入っており、古墳が圧倒的に多い大和が邪馬台国である。
② 箸墓古墳は三世紀中頃につくられたもので、卑弥呼の時代と一致する。
③ 円墳が先にできて後墳はあとからつけられたものであり、円墳部分の直径は約150メートルで『魏志』倭人伝の「径百余歩」と一致する。
としています。これに対し、私は次のように反論します。
①について。邪馬臺国は中国が認めた国であり、古墳の多さでありません。
②について。三世紀中頃の築造だったとしても、文献上では卑弥呼の墓だと特定するものはありません。また270年頃の築造とみる考古学や四世紀はじめとみる考古学者もいて、その根拠は非常に不安定です。
③について。卑弥呼の墓は「径百余歩」とあるように円墳です。一方箸墓古墳は、2002年以前の調査報告書によって、すでに、最初から前方後円墳であったことがわかっています。
③は卑弥呼の墓ではないことの決定打です。卑弥呼が駄目なら「台与」で、という人もいますが、それは270年頃の築造だったら、ということだけで、「台与」の墓であることを確認するすべはありません。
-つづく-
① 年輪年代法や放射性炭素(C14)年代測定法によれば、卑弥呼の時代はすでに古墳時代に入っており、古墳が圧倒的に多い大和が邪馬台国である。
② 箸墓古墳は三世紀中頃につくられたもので、卑弥呼の時代と一致する。
③ 円墳が先にできて後墳はあとからつけられたものであり、円墳部分の直径は約150メートルで『魏志』倭人伝の「径百余歩」と一致する。
としています。これに対し、私は次のように反論します。
①について。邪馬臺国は中国が認めた国であり、古墳の多さでありません。
②について。三世紀中頃の築造だったとしても、文献上では卑弥呼の墓だと特定するものはありません。また270年頃の築造とみる考古学や四世紀はじめとみる考古学者もいて、その根拠は非常に不安定です。
③について。卑弥呼の墓は「径百余歩」とあるように円墳です。一方箸墓古墳は、2002年以前の調査報告書によって、すでに、最初から前方後円墳であったことがわかっています。
③は卑弥呼の墓ではないことの決定打です。卑弥呼が駄目なら「台与」で、という人もいますが、それは270年頃の築造だったら、ということだけで、「台与」の墓であることを確認するすべはありません。
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