前回、「やまと」という呼び名は彦火火出見(のちの神武天皇)が九州から畿内大和に入ってきたときにはすでにあった、と書きましたが、そもそも「やまと」という呼び名はどのようにして生まれたのでしょうか。
『日本書紀』が完成した翌年の、養老五年(721)にはすでに『日本書紀』の講義が行われました。その後、弘仁三年(812)、承和10年(843)、元慶二年(878)、延喜四年(904)、承平六年(936)、康保二年(965)にも講義が行われ、その記録の一部が『日本紀私記』として残されています。そこには、なぜ「日本」という表記になったのか、という経緯が書かれています。最初は中国側がつけた名だとされていましたが、『隋書』に「日出處天子」とあることから、日本側が自らつけた名だというように変化しています。ただこれは表記上の「日本」のことで、読み方についての解釈ではありません。
これとは別に『日本書紀』には注釈書があります。鎌倉時代末期に卜部兼方により書かれた『釈日本紀』です。その巻第十六秘訓一には、「日本」の読み方について師弟による問答が載っています。
問 「日本」を「やまと」と読むのは音訓によっていない。これを字のごとく「ひのもと」と読むのはどうか。
答 それはもっともなことではあるが、山跡の意味で「やまと」と読むので、これを改めることはできない。
秘訓一の書き出しには、「私記(日本紀私記)曰」として、「昔、地が湿っていたので人は山に住み、その跡がたくさんついた。それで山跡といった」ということが書かれています。要するに、「やまと」というのは「人は山に住んだ」「跡がたくさんついた」、だから「山跡」と書き、「やまと」と読むのだ、ということなのです。そしてこの読み方(「山(やま)」と「跡(と)」)は変えられないとというのです。
今これを信じる人はいないと思いますが、当時においても、どれだけの人がこの語源を信じたでしょうか。それにこの「日本(やまと)」が「邪馬台」であるのなら、私たちの「日本(やまと)」は『魏志』倭人伝にいう女王卑弥呼の国「邪馬台(やまと)」のことであり、だから「やまと」と読まなければいけないのだ、とすればそれで済むことです。子供だましのような語源の存在は、「やまと」は「邪馬臺」でも「邪馬台」でもなかったことを表しています。
この「山跡」は、「日本」は「ひのもと」とは読まないということの理由としての「やまと」でしたが、子供だましのような「山跡」が「やまと」の本当の語源であるとは考えられません。「日本」は「倭」自身が改名したものであり、「やまと」と先に読まれた表記文字は「倭」です。「やまと」と読めない「倭」を「やまと」と読むからには、「やまと」と「倭」には何らかの関係があったのではないか、ということが考えられます。
-つづく-
『日本書紀』が完成した翌年の、養老五年(721)にはすでに『日本書紀』の講義が行われました。その後、弘仁三年(812)、承和10年(843)、元慶二年(878)、延喜四年(904)、承平六年(936)、康保二年(965)にも講義が行われ、その記録の一部が『日本紀私記』として残されています。そこには、なぜ「日本」という表記になったのか、という経緯が書かれています。最初は中国側がつけた名だとされていましたが、『隋書』に「日出處天子」とあることから、日本側が自らつけた名だというように変化しています。ただこれは表記上の「日本」のことで、読み方についての解釈ではありません。
これとは別に『日本書紀』には注釈書があります。鎌倉時代末期に卜部兼方により書かれた『釈日本紀』です。その巻第十六秘訓一には、「日本」の読み方について師弟による問答が載っています。
問 「日本」を「やまと」と読むのは音訓によっていない。これを字のごとく「ひのもと」と読むのはどうか。
答 それはもっともなことではあるが、山跡の意味で「やまと」と読むので、これを改めることはできない。
秘訓一の書き出しには、「私記(日本紀私記)曰」として、「昔、地が湿っていたので人は山に住み、その跡がたくさんついた。それで山跡といった」ということが書かれています。要するに、「やまと」というのは「人は山に住んだ」「跡がたくさんついた」、だから「山跡」と書き、「やまと」と読むのだ、ということなのです。そしてこの読み方(「山(やま)」と「跡(と)」)は変えられないとというのです。
今これを信じる人はいないと思いますが、当時においても、どれだけの人がこの語源を信じたでしょうか。それにこの「日本(やまと)」が「邪馬台」であるのなら、私たちの「日本(やまと)」は『魏志』倭人伝にいう女王卑弥呼の国「邪馬台(やまと)」のことであり、だから「やまと」と読まなければいけないのだ、とすればそれで済むことです。子供だましのような語源の存在は、「やまと」は「邪馬臺」でも「邪馬台」でもなかったことを表しています。
この「山跡」は、「日本」は「ひのもと」とは読まないということの理由としての「やまと」でしたが、子供だましのような「山跡」が「やまと」の本当の語源であるとは考えられません。「日本」は「倭」自身が改名したものであり、「やまと」と先に読まれた表記文字は「倭」です。「やまと」と読めない「倭」を「やまと」と読むからには、「やまと」と「倭」には何らかの関係があったのではないか、ということが考えられます。
-つづく-
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