『新唐書』が『旧唐書』と大きく異なるものに天皇系譜記事がある。これが中国をして、『旧唐書』の日本国記事を『新唐書』の日本記事へと書き替えさせることを容易にさせたのではないかと考えられる。そして、倭奴国、倭国、日本国と、昔から変わらず列島の代表だったとする主張を、一言で表現したのが「日本は古の倭奴なり」だったのである。
 『旧唐書』では、日本の天皇系譜はまだ中国側には伝わっていなかったと思われ、日本国使者の説明も天皇系譜に束縛されている様子はない。『旧唐書』には、『新唐書』にみられるような「倭国=日本」といった制約はみられない。『新唐書』の後、日本列島の国について書いている中国正史『宋史』には、984年僧の奝然(ちょうねん)が中国に渡り、そのとき『王年代紀』を献じたとあり、『新唐書』に掲載されている天皇系譜はこのときの『王年代紀』によるものと考えられている。『宋史』では、『新唐書』にはまだ記載されていた九州倭国の地形記事まで姿を消し、九州は神話時代のみの地となり、九州倭国は完全に近畿倭国の地に同化させられてしまっている。
 『隋書』『旧唐書』『新唐書』『宋史』とみていくと、九州倭国であったものが近畿倭国に取って代わられ、倭国はもともと近畿倭国であったと主張されるようになったことがよくわかる。そしてその主張の最後の総仕上げをしているのが天皇系譜なのである。天皇系譜の目的は見事に成就し、日本は古の倭奴国であり、倭国であり、昔から中国に朝献していた国であることを、完璧に中国に認めさせることができたのである。
 『旧唐書』日本国記事から『新唐書』日本記事への書き替えは、『旧唐書』までの中国側の日本列島に対する歴史観を根底から覆すものであり、もっと強く言えば、『旧唐書』までの中国正史を否定するものでもある。しかし、『新唐書』はその書き替えを断行した。
 『新唐書』が編纂された時すでに九州倭国は消滅し、日本列島の代表は日本国となっていた。中国に対し「日本は古の倭奴なり」と主張しても、日本列島内にはその主張に異議を唱える者もいなかった。『旧唐書』を『新唐書』のように書き替えた確たる理由はわからないが、日本列島の歴史に対し、中国としても過去の正史に対する歴史観を固持するだけの合理性・必要性を感じていなかったのかもしれない。日本国使者の説明に多少の疑問は感じても、その時代の状況をみると、『新唐書』のように書き替えることも「よし」としたのではないだろうか。
 しかしながら、日本の主張に基づいて『旧唐書』を書き替えた『新唐書』の存在によって、その「書き替えた」という事実、また『旧唐書』までの一連の中国正史と『新唐書』との矛盾、あるいは矛盾と思えるものから、今までにない新しい歴史事実を発見することができた。『新唐書』に対し、史料価値が少ない、と言う人もいるが、むしろその存在価値は非常に大きいのである。

 「『隋書俀国伝』の証明」における『旧唐書』『新唐書』については、これでお終いです。やはり、かなりのリメイク版になってしまいました。次回から『後漢書』について書いていきます。