『旧唐書』において、日本が近畿大和を中心とした地域にあったことを考慮すると、併合された小国の日本は近畿大和を中心とした地域にあり、併合した側の倭はこの地域外から侵入してきた勢力だったとみることができる。『旧唐書』では、近畿倭国が日本と改名し九州倭国を併合したとしているが、『新唐書』では、九州倭国とは別種の倭が近畿大和の小国日本を併合し日本と改名したことになる。『新唐書』は、後に日本と改名する倭が近畿大和へやってきた時代のことを記録し、『旧唐書』は、その倭が成長し日本と改名し、九州倭国を併合した時代のことを記録していることになり、歴史の順序とそれが記録された史書の順序が逆になっている。これを歴史の順序に直して整理すると、「九州倭国とは別種の倭が近畿大和を中心に存在していた小国の日本を併合し、その後近畿大和で成長した倭は、併合した小国の名をとり日本と改名し、やがて九州倭国を併合した」となる。
 『旧唐書』『新唐書』の記事には矛盾がある、偽りがあるとして切り捨てるのではなく、『旧唐書』までの一連の中国史書と『新唐書』が整合性を持つように解釈していけば、その裏に隠されているものも自然と現われてくるようになる。「日本は古の倭奴国か」で記載した『新唐書』の j の記事は、基本的には偽りなどではなく、むしろ事実だと考えるほうが筋が通る。
 近畿倭国が日本と改名するのは九州倭国が衰退してからなので、それは倭が小国の日本を併合してから数百年後のことになる。近畿大和に来た倭はすぐに日本と改名したのではなく、数百年の間は九州倭国とは別の存在である「倭」として生きてきたのである。ただし、この「倭」は日本の資料では「やまと」と呼んでいたようである。
 『新唐書』において日本側が偽ったものとは。それはすでに明らかになっているように、「九州倭国とは別種の倭」を、古くから中国史書に記録されてきた「九州の倭国」だとしたことである。すなわち「日本は古の倭奴なり」である。日本が歴史事実に手を加え、歴史の書き換えをしたことは間違いないが、『旧唐書』までの記事に対し偽ったのはこの点だけであり、日本と改名した倭を「九州倭国とは別種の倭」と解釈すれば、『旧唐書』『新唐書』は、それぞれにおいても、またお互いの関係においても、その内容は決して矛盾することなく理解できるようになるのである。
 矛盾と思われた記事の中から、「日本」と呼ばれた国は二つあることを発見した。これはもしかしたら、その奥に隠されてしまった真実の歴史を探しだすために必要な大きな要素の一つとなるかもしれない。