『新唐書』ではすべてが日本と書き直され、倭国という字がまったくなくなってしまったのかというと、そうではなく、『旧唐書』と同じように倭国と日本国との関係を記した記事はある。h、i、j である。これを『旧唐書』日本国記事のように意訳すると、
A 使者は自ら、日本は日の出る所に近いので、日本という名にした、と言っている。
B 夏音を習い、倭という字が良くないのを知り、日本と改名した。
C あるいは、日本は小さい国だったので、倭に併合され、倭は日本という名を奪った、と言う。
となる。『新唐書』では記事の順序はBが先になっているが、『旧唐書』日本国の記事と合わせるため、Aの記事をBより先に置いた。
『旧唐書』によれば、倭国と日本国にはその特徴に大きな違いがあることがわかるが、『新唐書』ではⅠⅡにみられるように、その特徴が日本として一つにまとめられてしまっている。特に地理・地形は物理的にまったく異なるものでありながら、何のためらいもなく日本一国のものとされている。これは、二つの国がまったくの別国だったことを自ら認めているようなものであり、『旧唐書』までの中国正史の歴史的流れを無視しなければ、今に続く日本国は倭奴国→倭国→日本国と発展していったのではなく、倭国と日本国(近畿倭国)という別々の国が一つになってできた国であることがわかる。『旧唐書』『新唐書』が記しているこの事実は非常に重要である。
このように、『旧唐書』の記事にあるものを肯定したり否定したり、あるいは訂正しながら、『旧唐書』にある倭国と日本国の特徴を生かしながら日本国の特徴としている『新唐書』は、日本の使者の説明によって歴史の書き替えがされるようになったことを示唆している。
日本国は倭国の別種であり別国なのだから、「倭国は古の倭奴国」である倭奴国が「日本は古の倭奴」となることは通常ではあり得ない。しかし、日本が倭国を併合したのであれば、倭国を含む日本が「日本は古の倭奴」と言ったとしても、それはあながち間違いだとは言えなくなる。これはもしかしたら、日本が倭国を併合したという事実を暗に示す、『新唐書』日本伝の総仕上げの一文だったのかもしれない。それともう一つ、可能性として、日本(近畿倭国)が倭奴国を出自としていれば、それもあり得る、ということになるが、どうだろうか。
-この続きは明日また-
A 使者は自ら、日本は日の出る所に近いので、日本という名にした、と言っている。
B 夏音を習い、倭という字が良くないのを知り、日本と改名した。
C あるいは、日本は小さい国だったので、倭に併合され、倭は日本という名を奪った、と言う。
となる。『新唐書』では記事の順序はBが先になっているが、『旧唐書』日本国の記事と合わせるため、Aの記事をBより先に置いた。
『旧唐書』によれば、倭国と日本国にはその特徴に大きな違いがあることがわかるが、『新唐書』ではⅠⅡにみられるように、その特徴が日本として一つにまとめられてしまっている。特に地理・地形は物理的にまったく異なるものでありながら、何のためらいもなく日本一国のものとされている。これは、二つの国がまったくの別国だったことを自ら認めているようなものであり、『旧唐書』までの中国正史の歴史的流れを無視しなければ、今に続く日本国は倭奴国→倭国→日本国と発展していったのではなく、倭国と日本国(近畿倭国)という別々の国が一つになってできた国であることがわかる。『旧唐書』『新唐書』が記しているこの事実は非常に重要である。
このように、『旧唐書』の記事にあるものを肯定したり否定したり、あるいは訂正しながら、『旧唐書』にある倭国と日本国の特徴を生かしながら日本国の特徴としている『新唐書』は、日本の使者の説明によって歴史の書き替えがされるようになったことを示唆している。
日本国は倭国の別種であり別国なのだから、「倭国は古の倭奴国」である倭奴国が「日本は古の倭奴」となることは通常ではあり得ない。しかし、日本が倭国を併合したのであれば、倭国を含む日本が「日本は古の倭奴」と言ったとしても、それはあながち間違いだとは言えなくなる。これはもしかしたら、日本が倭国を併合したという事実を暗に示す、『新唐書』日本伝の総仕上げの一文だったのかもしれない。それともう一つ、可能性として、日本(近畿倭国)が倭奴国を出自としていれば、それもあり得る、ということになるが、どうだろうか。
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