ここで考えなければならないことがある。それは、ABCは日本国の使者が言ったことだということである(「あるいはいう」「中国焉れを疑う」が示している)。つまり、同じ日本国の使者が、日本国は倭国とは別国だ、日本が倭国を併合した、と言っておきながら、一方で、日本国は倭国が改名したものだなどと、明らかに矛盾することを、同じ中国の朝廷に言ったりするだろうか、ということである。普通ではとても考えられない。それではどのように考えれば、この矛盾は解けるのだろうか。
日本国の使者が自ら矛盾したことを言うはずはない。これは重要な要素である。だとしたら、このような矛盾が起きた原因は一つしかない。それは、中国側の理解に間違いがあったということである。これは中国側が悪いわけではなく、それほど倭国と日本国の関係には、中国側には理解できないほど複雑な事情があったということなのである。
「あるいはいう」で結ばれている部分は日本国使者が言ったことには違いないが、その言葉の中、あるいはそれ以外の言葉の中に、別の意味合いを持つ何かがあったのではないか。しかし、それを中国側は十分理解することができず、日本国使者の言葉をそのまま記録した。今まで中国が理解していたことと違う、日本国使者はおかしなことを言う、と思いながら。それまで中国が理解していたこととは、倭国は倭奴国あるいは邪馬壹国を中心とした倭国のことであり、それは九州島にあった、ということである。このようにみてきた中国側には、倭国とは場所も地理地形も異なる日本国を、日本国使者が「日本国は倭国が改名したものだ」という言葉に違和感を覚えたに違いない。
「中国焉れを疑う」は、『旧唐書』へ至るまでの中国正史をみれば、こういった中国の倭国に対する理解と、日本国は倭国が改名したものだという日本国の説明との矛盾(中国側はそのように感じた)に対してであることは、容易に理解できる。
したがって、これらのことを総合すると、日本側の中国側への説明の本来の主旨は次のようだったのではないかと推測する。
ア 日本国は倭国とは別国である。
イ しかし、日本も倭人の国であり、改名前は倭国だった(この倭と日本は「やまと」と読む)。
ウ 我々の倭国は日の出る方角にあったので、日本を国名とした。
エ 我々は九州の倭国を併合した。
このことは中国側には理解できなかった。なぜなら、中国にとって、「倭国」という名はあくまでも九州の倭国を指していたからである。
中国側はアイウエの内容を理解できなかったために、BCのように「あるいはいう」を挿入し表記したのである。「その人、入朝する者、多く矜大、実を以て対えず。故に中国焉を疑う」はそんな中国側の素直な気持ちを表したものと言える。
-この続きは明日 また-
日本国の使者が自ら矛盾したことを言うはずはない。これは重要な要素である。だとしたら、このような矛盾が起きた原因は一つしかない。それは、中国側の理解に間違いがあったということである。これは中国側が悪いわけではなく、それほど倭国と日本国の関係には、中国側には理解できないほど複雑な事情があったということなのである。
「あるいはいう」で結ばれている部分は日本国使者が言ったことには違いないが、その言葉の中、あるいはそれ以外の言葉の中に、別の意味合いを持つ何かがあったのではないか。しかし、それを中国側は十分理解することができず、日本国使者の言葉をそのまま記録した。今まで中国が理解していたことと違う、日本国使者はおかしなことを言う、と思いながら。それまで中国が理解していたこととは、倭国は倭奴国あるいは邪馬壹国を中心とした倭国のことであり、それは九州島にあった、ということである。このようにみてきた中国側には、倭国とは場所も地理地形も異なる日本国を、日本国使者が「日本国は倭国が改名したものだ」という言葉に違和感を覚えたに違いない。
「中国焉れを疑う」は、『旧唐書』へ至るまでの中国正史をみれば、こういった中国の倭国に対する理解と、日本国は倭国が改名したものだという日本国の説明との矛盾(中国側はそのように感じた)に対してであることは、容易に理解できる。
したがって、これらのことを総合すると、日本側の中国側への説明の本来の主旨は次のようだったのではないかと推測する。
ア 日本国は倭国とは別国である。
イ しかし、日本も倭人の国であり、改名前は倭国だった(この倭と日本は「やまと」と読む)。
ウ 我々の倭国は日の出る方角にあったので、日本を国名とした。
エ 我々は九州の倭国を併合した。
このことは中国側には理解できなかった。なぜなら、中国にとって、「倭国」という名はあくまでも九州の倭国を指していたからである。
中国側はアイウエの内容を理解できなかったために、BCのように「あるいはいう」を挿入し表記したのである。「その人、入朝する者、多く矜大、実を以て対えず。故に中国焉を疑う」はそんな中国側の素直な気持ちを表したものと言える。
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