『隋書俀国伝』を分析することにより、邪靡堆すなわち邪馬壹国が有明海北東部沿岸にあり、俀国(倭国)は九州島であることがわかりました。このことは『旧唐書』と『新唐書』の内容の違いに対する解釈にも影響を与えることになります。
 『旧唐書』は945年に成立しましたが、動乱期と重なり、編集の問題などで後世の評判は悪く、北宋時代に『新唐書』が編纂されることになりました(1060年成立)。しかし、『旧唐書』には生の史料がそのまま書き写されたりしており、資料的価値は『新唐書』よりも高いとされています。
 二書の研究においてはどちらが正しいかなどという議論もあるようですが、歴史は時間の流れの中での事象ですから、この二書だけでそれは語られるものではないはずです。すでに『隋書』から倭国(俀国)、「邪馬壹国-邪靡堆」はどこにあったのかなどもわかっています。
 明日からしばらくは、『隋書』からわかったことを基本に、『旧唐書』『新唐書』には何が書かれていて、そしてそこから何がわかるのか、書いていきたいと思います。
 これは、「『隋書俀国伝』の証明」の第二章「『旧唐書』『新唐書』の証明」が原本となりますが、多分今回、現在の目から見たリニューアル版になると思います。