「『隋書俀国伝』の証明」は、そもそも「市民の古代」第14集(1992年12月1日発行)に投稿し採用された論考の題名でした。「市民の古代」は、基本的に、古田武彦氏を支持する人たちでつくっていた季刊誌ですが、そこへ反古田説ともいうべき論考を投稿し、しかも採用されたという思い出のあるものです。
その後、この論考の内容を拡大し一冊の本にして出版したいという思いに駆られ、その題名をどうしようかと思った時、この題名がどうしても頭から離れず、「市民の古代」への論考と同名のタイトルをつけてしまったというわけです。
今回、この書を読み返しながら書いたのですが、念押しが多かったり、表現の仕方がおかしかったり、結論には影響しない程度ではあるけれども、勘違いがあったりで、その訂正・修正・削除などで随分時間がかかりました。でも、今回きっちりとした文章にリニューアルでき、これはこれでよかったかなと思っています。ただ、もとの本も、国会図書館にはありますし、古本屋では売られている可能性もあり、そのままの文章では少し恥ずかしい気もします。
一冊の本としては、これまでの部分は第一章にあたり、まだ「『隋書俀国伝』の証明」としては続くのですが、『隋書』とは離れていくので、このサイトでの「『隋書俀国伝』の証明」は一区切りとすることにしました。次からは『旧唐書』と『新唐書』について書いていきたいと思います。
それではまた。
その後、この論考の内容を拡大し一冊の本にして出版したいという思いに駆られ、その題名をどうしようかと思った時、この題名がどうしても頭から離れず、「市民の古代」への論考と同名のタイトルをつけてしまったというわけです。
今回、この書を読み返しながら書いたのですが、念押しが多かったり、表現の仕方がおかしかったり、結論には影響しない程度ではあるけれども、勘違いがあったりで、その訂正・修正・削除などで随分時間がかかりました。でも、今回きっちりとした文章にリニューアルでき、これはこれでよかったかなと思っています。ただ、もとの本も、国会図書館にはありますし、古本屋では売られている可能性もあり、そのままの文章では少し恥ずかしい気もします。
一冊の本としては、これまでの部分は第一章にあたり、まだ「『隋書俀国伝』の証明」としては続くのですが、『隋書』とは離れていくので、このサイトでの「『隋書俀国伝』の証明」は一区切りとすることにしました。次からは『旧唐書』と『新唐書』について書いていきたいと思います。
それではまた。
コメント