拙著「『隋書俀国伝』の証明」では、朴堤上説話を自説の裏付けになるものとして取り上げましたが、この説話をはじめに取り上げたのは古田武彦氏で、邪馬壹国は博多湾に近接したところにあったとする裏付けのためでした。私は、古田氏の「邪馬壹国は博多湾に近接したところにあった」とする説よりも、私の「邪馬壹国は有明海北東部海岸の近くにあった」とする説のほうが、より朴堤上説話の内容に合致している、と主張しました。根拠とした史書は『三国遺事』でした。

 朴堤上説話は朝鮮の史書である『三国史記』と『三国遺事』にあります。しかし『三国遺事』は、正史である『三国史記』と異なり、仏教にまつわる逸話集・民話・民俗集・文学書的要素などが多い史書で、日本でいえば『古事記』のような存在の書になります。つまり、そこにある記述をそのまま史実として鵜呑みにしてよいものなのか、という疑問が生じてきます。『三国史記』は正史なので、検討資料とするのは特に問題ないとは思いますが、『三国遺事』はどうなのだろうか、ということです。
 『三国史記』と『三国遺事』では、朴堤上説話の「時代」と「ロケーション」が異なります。『三国史記』では四〇二年、新羅を討つために出かけた途中の島での事件であり、『三国遺事』では三九〇年、海が近くにあった倭王の居城周辺での事件となっています。このようなことからみても、どちらが正しいかということではなく、『三国遺事』を正史である『三国史記』に優先して扱うのは少し問題があるのではないか、と今は感じているわけです。

 このようなことから、このシリーズでは原本のこの部分はカットして先に進んだほうがよいのではないかとも思ったのですが、過去の考えを知ってもらうことも意味があるのではないか、ということでそのまま続けることにしました。しかし昨日書き終わってから、どうもしっくりこない。それだったら、そういった説明をして、この説話については最初から書かないほうがよかったのではないか、という思いが一気に押し寄せ、せっかく書いたものではありますが、昨日のうちに4日分は削除してしまいました。4日分が消えたのはこういう理由からですのでご承知おきください。
  
 明日は4日前に戻り、そこから再開したいと思います。