ここでもう一つ、新しい知識によって書かれた方位が、『魏志倭人伝』の方位に対し時計回りに九十度ずれていることを②により確認してみよう。
この文は、俀国は東西南北四面を海に囲まれた島国であり島全体が俀国である、ということを言わんとしている。さらに、五月行と三月行という表現は、表記が里数ではないから多少のずれはあるかもしれないが、俀国はその辺の長さがおおよそ五対三の長方形をした島国であることを意味している。
ここでは「東西五月行、南北は三月行」と東西に長く南北に短い書き方になっている。しかし、実際はどうなのだろうか。これはBグループであるから、この方位は『魏志倭人伝』の方位に対し時計回りに九十度ずれている可能性がある。
ところで『隋書俀国伝』には、俀国はどこにあるのかを限定する重要な文がある。「阿蘇山あり」である。阿蘇山は普通名詞ではなく固有名詞であり、固有名詞として九州に存在していると認識している。この「阿蘇山あり」は、「その国境は東西五月行、南北は三月行にして、各々海に至る」地形の俀国は九州島であることを決定的にしている。

そうであれば、「東西五月行、南北は三月行」は九州の大きさ、形の表現でなければならない。ところが九州はこの表現とは異なり、南北に長く東西に短い(実際の方角は三十度から四十五度程度のずれがあるが、表現を『魏志倭人伝』の方位に合わせた)。しかし、これは間違いなく九州の地形についての説明である。だからといって、九州が数百年の間に九十度動いたなどということはあり得ない。したがって『隋書俀国伝』では、『魏志倭人伝』の南北を東西に、東西を南北にとらえていたということがわかる。このように②においても、『隋書俀国伝』の方位は『魏志倭人伝』の方位に対し時計回りに九十度ずれていることが確認できるのである。
②と「阿蘇山あり」により、俀国とは「南北に長く、東西に短く、その比が約五対三で、周りを海に囲まれた地形の国」ということになる。これは、近畿大和のような盆地であったり、本州のように長細かったり、四国のように東西が南北より長い島国ではないことを決定づける。
阿蘇山があるのは九州島であり、九州島であるからこそ、そこから②の方位は『魏志倭人伝』の方位に対し時計回りに九十度ずれていることがわかる。また、②の方位が『魏志倭人伝』の方位に対し時計回りに九十度ずれていると解釈しなければ、阿蘇山のある島を九州島だとすることができないという矛盾が起きてしまうのである。
-この続きはまた明日-
この文は、俀国は東西南北四面を海に囲まれた島国であり島全体が俀国である、ということを言わんとしている。さらに、五月行と三月行という表現は、表記が里数ではないから多少のずれはあるかもしれないが、俀国はその辺の長さがおおよそ五対三の長方形をした島国であることを意味している。
ここでは「東西五月行、南北は三月行」と東西に長く南北に短い書き方になっている。しかし、実際はどうなのだろうか。これはBグループであるから、この方位は『魏志倭人伝』の方位に対し時計回りに九十度ずれている可能性がある。
ところで『隋書俀国伝』には、俀国はどこにあるのかを限定する重要な文がある。「阿蘇山あり」である。阿蘇山は普通名詞ではなく固有名詞であり、固有名詞として九州に存在していると認識している。この「阿蘇山あり」は、「その国境は東西五月行、南北は三月行にして、各々海に至る」地形の俀国は九州島であることを決定的にしている。

そうであれば、「東西五月行、南北は三月行」は九州の大きさ、形の表現でなければならない。ところが九州はこの表現とは異なり、南北に長く東西に短い(実際の方角は三十度から四十五度程度のずれがあるが、表現を『魏志倭人伝』の方位に合わせた)。しかし、これは間違いなく九州の地形についての説明である。だからといって、九州が数百年の間に九十度動いたなどということはあり得ない。したがって『隋書俀国伝』では、『魏志倭人伝』の南北を東西に、東西を南北にとらえていたということがわかる。このように②においても、『隋書俀国伝』の方位は『魏志倭人伝』の方位に対し時計回りに九十度ずれていることが確認できるのである。
②と「阿蘇山あり」により、俀国とは「南北に長く、東西に短く、その比が約五対三で、周りを海に囲まれた地形の国」ということになる。これは、近畿大和のような盆地であったり、本州のように長細かったり、四国のように東西が南北より長い島国ではないことを決定づける。
阿蘇山があるのは九州島であり、九州島であるからこそ、そこから②の方位は『魏志倭人伝』の方位に対し時計回りに九十度ずれていることがわかる。また、②の方位が『魏志倭人伝』の方位に対し時計回りに九十度ずれていると解釈しなければ、阿蘇山のある島を九州島だとすることができないという矛盾が起きてしまうのである。
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