『魏志倭人伝』には邪馬壹国がどこにあったのかを特定する要素はない。邪馬壹国について書かれた中国史書は『魏志倭人伝』だけではない。『隋書俀国伝』には、『魏志倭人伝』とは別の書き方をした行路記事がある。この記事についてはこれまで詳しく論じられたことはほとんどなかったが、そこには重要なキーワードが隠されていた。それが
① 東
② 海岸
③ 十日
である。この三つのキーワードを解くことによって、邪馬壹国、『隋書俀国伝』では「邪靡堆」の位置を探しだすことが可能になる。
今、『魏志倭人伝』は自分自身で蒔いた種で身動きできないでいる。『魏志倭人伝』という貴重な資料を生かすも殺すも、この『隋書俀国伝』の正しい解釈にかかっている。『魏志倭人伝』の行方は『隋書俀国伝』が握っていると言える。
また、倭国と日本国の成立について書かれた中国史書に『旧唐書』と『新唐書』がある。『旧唐書』は日本国は倭国とは別国だといい、『新唐書』は同一国だという。この矛盾と思われる記述には何らかの理由があるはずであり、そこから重要な事実が現れてくる可能性がある。
中国史書の中には、『魏志倭人伝』以外にも、『魏志倭人伝』の単なる補助説明的資料してではなく、歴史の流れをとらえる上で非常に貴重な資料がある。私はこれらの中国史書の新しい角度からの分析により、まず倭国の歴史の大きな流れをとらえてみたい。
-明日に続く-
① 東
② 海岸
③ 十日
である。この三つのキーワードを解くことによって、邪馬壹国、『隋書俀国伝』では「邪靡堆」の位置を探しだすことが可能になる。
今、『魏志倭人伝』は自分自身で蒔いた種で身動きできないでいる。『魏志倭人伝』という貴重な資料を生かすも殺すも、この『隋書俀国伝』の正しい解釈にかかっている。『魏志倭人伝』の行方は『隋書俀国伝』が握っていると言える。
また、倭国と日本国の成立について書かれた中国史書に『旧唐書』と『新唐書』がある。『旧唐書』は日本国は倭国とは別国だといい、『新唐書』は同一国だという。この矛盾と思われる記述には何らかの理由があるはずであり、そこから重要な事実が現れてくる可能性がある。
中国史書の中には、『魏志倭人伝』以外にも、『魏志倭人伝』の単なる補助説明的資料してではなく、歴史の流れをとらえる上で非常に貴重な資料がある。私はこれらの中国史書の新しい角度からの分析により、まず倭国の歴史の大きな流れをとらえてみたい。
-明日に続く-
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