日本古代史は今岐路に立っている。それは『魏志倭人伝』をどんなに詳細に読んでも、またどんなに工夫して読んでみても、そこから邪馬壹国を探しだすのは不可能であることに多くの人が気付き始めたからである。
安本美典氏は以前から、『魏志倭人伝』などの中国の古典、『古事記』『日本書紀』などの国内文献、考古学上の諸事実を合わせて考えていく場合にのみ、邪馬台国問題は解決すると言っている。そして、そこから導かれた結論として、邪馬台国は福岡県甘木市辺りにあったとし、その邪馬台国が近畿大和へ東遷したとする。
奥野正男氏は、遺跡等の考古資料を詳細に検討し、邪馬台国は北九州から近畿大和へ東遷したことを証明しようとしている。
大和岩雄氏も奥野氏と同様の方法により、卑弥呼の宗女台与の時、邪馬台国は北九州から近畿大和に東遷したとしている。そして「いつまでも『倭人伝』の行路や里程・日数・方向について、重箱の底をつつくように細かく論じていても、邪馬台国は見えてこないのではないだろうか」と述べている(東アジアの古代文化61号)。
ここで大和氏が、邪馬台国が見えてこないと言っている文献は『魏志倭人伝』であり、安本氏が言っている中国の古典も『魏志倭人伝』が中心となっている。私も、『魏志倭人伝』のみから邪馬壹国を探しあてることは不可能であると考えており、その点においては両氏と一致するところである。
しかし私は、その不足する部分を、安本氏、奥野氏、大和氏のように、即、考古資料や『古事記』『日本書紀』(以下『記紀』)に求めない。中国史書は『魏志倭人伝』だけではない。『隋書俀国伝』を正確に読めば、邪馬壹国の所在地はわかる。そして卑弥呼以来、少なくとも七世紀初めの多利思北孤の時代まで、邪馬壹国は有明海北東部沿岸にあったこともわかる。これを無視して考古資料・『記紀』に頼ることは、私にはできない。
古代日本について書かれた中国史書は『魏志倭人伝』だけではない、ということをもう少し重視し、考古資料・『記紀』などを基に想像に馳せる前に、少なくとも『魏志倭人伝』から『新唐書』までの中国史書だけからみると日本列島の古代はどうなるか、を研究する必要がある。
考古資料は非常に貴重である。しかし、大きな問題点があることも事実である。遺跡・遺物には絶対年代は記されていない。しかも相対的年代の推定にも大きな幅がある。同じ遺跡でも新たな遺跡の発見によって、推定年代がそれまで考えられていた年代と百年以上もずれるなどということは多々ある。遺跡・遺物はまぎれもない物的証拠ではあるが、年代を正確に規定するものではないということだ。
遺跡があるということは、確かに人がその周辺に生活していたという証拠ではあるが、逆に遺跡が発見されていないからといって、そこには何もなかったということにはならない。古田武彦氏や安本美典氏が引き合いに出す [シュリーマン] は、"文献に書かれていることを信じ通し" て 「トロイ遺跡」を発掘したのであって、遺跡がそれまで発見されていなくても、文献が証明しているものであるならば今後発見される可能性が十分ある、ということを示したのである。
-明日に続く-
安本美典氏は以前から、『魏志倭人伝』などの中国の古典、『古事記』『日本書紀』などの国内文献、考古学上の諸事実を合わせて考えていく場合にのみ、邪馬台国問題は解決すると言っている。そして、そこから導かれた結論として、邪馬台国は福岡県甘木市辺りにあったとし、その邪馬台国が近畿大和へ東遷したとする。
奥野正男氏は、遺跡等の考古資料を詳細に検討し、邪馬台国は北九州から近畿大和へ東遷したことを証明しようとしている。
大和岩雄氏も奥野氏と同様の方法により、卑弥呼の宗女台与の時、邪馬台国は北九州から近畿大和に東遷したとしている。そして「いつまでも『倭人伝』の行路や里程・日数・方向について、重箱の底をつつくように細かく論じていても、邪馬台国は見えてこないのではないだろうか」と述べている(東アジアの古代文化61号)。
ここで大和氏が、邪馬台国が見えてこないと言っている文献は『魏志倭人伝』であり、安本氏が言っている中国の古典も『魏志倭人伝』が中心となっている。私も、『魏志倭人伝』のみから邪馬壹国を探しあてることは不可能であると考えており、その点においては両氏と一致するところである。
しかし私は、その不足する部分を、安本氏、奥野氏、大和氏のように、即、考古資料や『古事記』『日本書紀』(以下『記紀』)に求めない。中国史書は『魏志倭人伝』だけではない。『隋書俀国伝』を正確に読めば、邪馬壹国の所在地はわかる。そして卑弥呼以来、少なくとも七世紀初めの多利思北孤の時代まで、邪馬壹国は有明海北東部沿岸にあったこともわかる。これを無視して考古資料・『記紀』に頼ることは、私にはできない。
古代日本について書かれた中国史書は『魏志倭人伝』だけではない、ということをもう少し重視し、考古資料・『記紀』などを基に想像に馳せる前に、少なくとも『魏志倭人伝』から『新唐書』までの中国史書だけからみると日本列島の古代はどうなるか、を研究する必要がある。
考古資料は非常に貴重である。しかし、大きな問題点があることも事実である。遺跡・遺物には絶対年代は記されていない。しかも相対的年代の推定にも大きな幅がある。同じ遺跡でも新たな遺跡の発見によって、推定年代がそれまで考えられていた年代と百年以上もずれるなどということは多々ある。遺跡・遺物はまぎれもない物的証拠ではあるが、年代を正確に規定するものではないということだ。
遺跡があるということは、確かに人がその周辺に生活していたという証拠ではあるが、逆に遺跡が発見されていないからといって、そこには何もなかったということにはならない。古田武彦氏や安本美典氏が引き合いに出す [シュリーマン] は、"文献に書かれていることを信じ通し" て 「トロイ遺跡」を発掘したのであって、遺跡がそれまで発見されていなくても、文献が証明しているものであるならば今後発見される可能性が十分ある、ということを示したのである。
-明日に続く-
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