今日から、私の思い入れのある著書「『隋書俀国伝』の証明」を紹介していきます。しばらくの間、お付き合いください。

『隋書俀国伝』の証明ー邪馬壹国へのもう一つの行路の発見ー

本論にはいるまえに

 「邪馬台国」はどこにあったのか。日本古代史研究最大の的となってきたこのテーマは、永遠の謎なのだろうか。それとも、いつの日か、その神秘のベールを脱ぐ日が来るのだろうか。
 今から二十数年前、ふと本屋で手にした本が、こんなにも私に古代史への興味を抱かせ続けるとは、その時にはまったく知る由もなかった。その本は衝撃的であり、しかも実に新鮮に私の目に映ったものだ。『「邪馬台国」はなかった』。それは私の古代史への関心を強烈に揺さぶった。今まで、私たちは随分思い込まされていた部分があったのではないか。先入観によって、これ程までに歴史は形作られてしまっているのか。そのとき、私の目の前に、古代史という未知の世界が大きな興味の対象として、しかも具体性を持って現れてきたのである。以来、読者としてではあったが、古田武彦氏を通して、私は古代史への興味をますますつのらせていったのである。古田説は論理的であり、しかも資料批判が恣意的ではない(その当時はそう思っていた)。こんなところから私は、古田説は絶対であると思うようになったのである。
 ところがいつしか、古田説を含め、日本古代史界全体の、中国史書は『魏志倭人伝』重視の偏った姿勢、自説を主張するだけで他人の説はなかなか受け入れようとしない体質、素人が疑問に思ったり矛盾を感じたりする部分は、"専門家の見方" で逃げてしまう手口、そういったものがだんだん見えてくるようになり、腹立たしさを感じると共に古代史研究の方法やその内容に、私なりの疑問も湧いてきた。
 文献資料批判上の問題として、『三国志』「魏書」烏丸鮮卑東夷伝倭人条(以下『魏志倭人伝』)の記事だけで、邪馬壹国の位置を決めることが本当にできるのだろうか。これまでに『魏志倭人伝』から邪馬壹国を求めようとして、実に多くの人が、実に多くの説を提出している。これは、見方を変えれば、『魏志倭人伝』には邪馬壹国を一か所に限定する確実な資料性はなく、『魏志倭人伝』だけでは、邪馬壹国を見つけ出すことは不可能であることを証明しているようなものだ。
 原文改定すれば当然きりはないが、原文改定しなくてもいく通りにも解釈できる文が『魏志倭人伝』の行路記事には多い。たとえば、
 〇 海岸に循って水行し、韓国を歴て・・・
 〇 投馬国に至る水行二十日。
 〇 邪馬壹国に至る、女王の都する所、水行十日陸行一月。
 〇 女王国より以北、その戸数・道里は得て略載すべきも・・・
などだ。これらは、『魏志倭人伝』の中だけであれば、どのように読んでも、正しいのか間違っているのか判断できない。たった一つの読み方をすることは所詮無理なのだ。『魏志倭人伝』そのものには、それを証明するものがないからだ。『魏志倭人伝』のみについて述べていれば、悪く言えば "けが" はないのである。論者はいくらでも言い逃れができることになる。
 それでは、『魏志倭人伝』解読を確実なものにするためにはどうしたらよいのだろうか。簡単に言えば、『魏志倭人伝』を裏付ける資料が、『魏志倭人伝』以外の中国側文献の中にあればよいのである。しかもそのコピーではない、まったく別の史料が。この方法が一番確実で、一番簡単であると、私には思える。ところが、このような方法で邪馬壹国位置論にアプローチした研究者は、これまでのところ、私の知る限りではいない。
 『「邪馬台国」はなかった』以後、古田説への支持と疑問を抱きつつ、しばらくは、日本古代史に興味を持つ、単なる一読者として時は過ぎていった。しかしそんなある日、私は何気なく読んでいた『隋書俀国伝』の中の"東" "海岸" "十日" という文字に目がとまった。それが一体、どのような方向に私を導いて行くのか、当時はまったく知る由もなかったが、そこには何か非常に大きな意味が隠されているように思えてならなかった。
 邪馬壹国への行路が書かれた中国史書は『魏志倭人伝』だけではないが、その行路を載せた『魏志』以降の中国史書は、ほとんど『魏志倭人伝』の行路を踏襲していて、新鮮味はない。『魏志倭人伝』は言うなればオリジナル版であり、しかも同時代資料ということもあり、研究の主要資料とするのは当然と言えば当然である。しかし、行路記事はそればかりではなかったのだ。異彩を放った行路記事であるにもかかわらず、あまり顧みられないものがあった。それが『隋書俀国伝』の行路記事であり、今までこの行路について詳細に検討しようとした研究者がほとんどいなかったという事実に、私は大きな驚きを感じたのである。
 今思えば、『隋書俀国伝』の行路記事にある "東" "海岸" "十日" の存在意義を知ったときから、読者ではない、私が自分自身で考える古代史が始まったのである。

 -明日に続く-