発掘された遺跡から出土した考古資料が文献の記述と一致すれば、文献の記述の正しさとその存在を示す何よりの証拠となるのですが、「邪馬台(正しくは「邪馬壹」「邪馬臺」)国」問題に関してはそう簡単にはいきません。なぜなのでしょうか。 纏向遺跡を「邪馬台国」と重 ...
吉野ケ里遺跡で石棺墓発見 その先は…残念な結果に
今回吉野ケ里遺跡で発見された石棺墓の発掘調査結果について、本日、調査担当者より報告がありました。先週、石棺墓の蓋を開けたときの映像で副葬品は見当たらなかったので、あまり期待はできないと思いつつ、何となく期待してしまっていたようです。しかし、残念ながら何 ...
吉野ケ里遺跡で石棺墓発見 その先は・・・
5月29日、吉野ケ里遺跡の北墳丘墓の西150mのところにある日吉神社の跡地から石棺墓が発見されました。日吉神社は小高い所にあったため関係者の上り下りが大変になり、別のところに移設されたことから、「謎のエリア」と呼ばれているこの部分の調査がはじめられたと ...
倭面土も倭奴も「やまと」と読んでしまう驚きの発想力4
平野氏はさらに次のように言っていっています。 西嶋氏が『後漢書』の「倭国王帥升」が原文であるとされたのは正しい。しかし、唐代にこれを「倭面土国」と称したのは、「倭国」そのものを「倭面土国」と記したので、西嶋氏がこれをヤマトと読むべきだとされたとおり、倭 ...
倭面土も倭奴も「やまと」と読んでしまう驚きの発想力3
平野邦雄氏はその著『邪馬台国の原像』の中で、『漢書』地理志の顔師古注と「倭奴国」「倭面土国」について概略次のように言っています。 『北史』『隋書』によると、漢の光武と安帝の両度に通交したのは、ともに「倭奴国」と記されている。ここでの「倭奴国」は当然一語 ...
倭面土も倭奴も「やまと」と読んでしまう驚きの発想力2
「倭面土国」をはじめ「倭面上国」「倭面土地」「倭面国」という国名が、中国史書にも日本の史書にもあることを知ったとき、まともには解けそうもない日本古代史の謎世界の深さを痛烈に感じたものでした。 これらの国名が書かれていた史書と内容は以下のとおりです。翰苑 ...
倭面土も倭奴も「やまと」と読んでしまう驚きの発想力
正史ではない中国史書や日本の史書の一部に、「倭面土国」という見慣れない国名が登場します。この倭面土や倭奴を「やまと」と読む学者や研究者がいるのですが、このことを知って愕然とした私は、私の疑問から発した私見を、拙著『縄文から「やまと」へ』(現『倭と山東・ ...
日本古代史を解く簡単な方法
日本古代の歴史は未だにぐちゃぐちゃしていますが、本来それは単純明快なのものであり、それを解く方法も実は簡単なのです。前回お話ししたように、日本古代史を混迷させ複雑にしたのは研究者の姿勢にあるのです。 今回、日本古代史がいかに単純明快であるか、ということ ...
日本古代史の混迷は『魏志』のせいではない
『魏志』倭人伝をどんなに工夫して読んでも邪馬臺国がどこにあったのかを確定できないことから、『魏志』倭人伝の正当な存在を否定する研究者がついて出てくるようになりました。『魏志』倭人伝は『日本書紀』をもとに書いたものだということを言う人もいて、目眩がしてひ ...
『日本書紀』の紀年と実年
『日本書紀』の時代表記を西暦に直すと、神武天皇即位は紀元前660年になります。古代天皇の在位期間や事績はそのまま信用することはできませんが、第20代安康天皇からは信頼できるとされています。そのままの『日本書紀』の紀年は、神功皇后摂政39年条にある「魏志 ...


