日本古代史一人旅

必要なのは 結論ありきのストーリーではなく 史料に基づいたヒストリー

 日本古代史は今どこに向かって行こうとしているのか?あまりの情報過多であらぬ方向に引きずられて行っているようにみえます。 新年を迎え、新たな気持ちでスタートするため、ブログ名を変更しました。引き続き、広く認められた史料に基づく見方・考え方で日本古代史を見 ...

 2009年、歴史民俗博物館は、C14年代測定法により「箸墓古墳の築造直後の年代は240~260年」と発表しました。これを受け、中には、少し古すぎるのではないかと280年頃に下げ台与の墓だという人もいましたが、多くの「邪馬台国畿内説」者は、箸墓古墳は卑弥呼の ...

 それでは②はどのように読めばよいのでしょうか。その鍵を握っているのは間違いなく「故」です。それともう一つは「之」です。 「故」には、よく知られている意味のほかにどのような意味があるのか、「漢和大字典」で調べてみました。「ゆえ(に)」を筆頭に「ふるい」「 ...

 『後漢書』には、倭奴国が後漢に朝貢し、光武帝から印綬を賜ったとあり、その印綬は志賀島から出土した「漢委奴国王」と彫られた金印だとされています。つまり「倭奴国」は「委奴国」のことになります。また、『漢書』地理志には、七世紀中頃のものとみられる顔師古の注が ...

【九州以外の説】 「九州以外の説」がなぜ成立しないのか、その理由も『隋書』が教えてくれています。これまでに何度か挙げたことのある次の記事です。①  其国境 東西五月行 南北三月行 各至於海②  都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也③  自魏至于斉梁代與中国相通 ...

※卑弥呼の国は『魏志』では「邪馬壹」、『後漢書』では「邪馬臺」、『隋書』では「邪靡堆」と書かれており、「邪馬台」という国名は中国史書上存在しませんが、ここではその説に応じた表現として「邪馬台」も使用します。 最近、近畿大和説、九州説以外にも四国阿波説や千 ...

 中国正史を通して整合する歴史を構築しようとする研究者を今まで見たことがない、と私はずっと言ってきました。ところが最近、『隋書』『旧唐書』『新唐書』を挙げて説明するYouTube Channelが目に付くようになりました。そこではどのような見方がされているのか、見てみた ...

 中国正史で日本列島の代表国に関する記述があるのは、日本国が出現する『旧唐書』までで11史書あり、次の『新唐書』を含めると12史書あります。その後はすべて日本国として記録されていき、倭国と日本国の関係の歴史を考えるにはこれら12の正史が必要になります。た ...

 明治天皇の玄孫である竹田恒泰さんのYouTube は面白いのでつい見てしまうのですが、最近見た「産経新聞さん 邪馬台国は九州でしょ」について、少し気になることがあったので調べてみたのですが、ずいぶん昔のことを言っていたんですね。 竹田さんは、古代史の研究は歴史 ...

 『隋書』は日本古代史研究者がほとんど取り上げることのない史書ですが、最近、YouTubeでたまーに「俀国伝」の解説らしきことをしているのを見かけることがあります。 しかし、そこにあるのは『日本書紀』に侵されたヤマト至上主義で、俀国は「東西五月行南北三月行各至於 ...

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