この日本と改名した倭(読み方は「やまと」)国は、中国側からすれば本来の倭国ではないが、列島内ではもう一つの倭国として周知の存在だったはずである。倭国には、中国から正式に認められた九州の倭国(九州倭国)とそうではない近畿大和を中心とした倭国(近畿倭国)の ...
『旧唐書』日本国 二つの倭国
ここで考えなければならないことがある。それは、ABCは日本国の使者が言ったことだということである(「あるいはいう」「中国焉れを疑う」が示している)。つまり、同じ日本国の使者が、日本国は倭国とは別国だ、日本が倭国を併合した、と言っておきながら、一方で、日 ...
『旧唐書』日本国 日本国は倭国の別種
次に『旧唐書』倭国日本伝の日本国記事についてみてみたい。① 日本国は倭国の別種なり。② その国日辺にあるを以て、故に日本を以て名となす。③ あるいはいう、倭国自らその名の雅ならざるを悪み、改めて日本となすと。④ あるいはいう、日本は旧小国、倭国の地を併 ...
『旧唐書』倭国 倭国は九州島であることを認めている
②③④⑥は『隋書』俀国伝をもとにした記事であるが、俀国は俀国伝によれば九州島にあったのだから、①~⑥の記事はみな九州島についての記事ということになる。これは、『旧唐書』にいう倭国もみな九州島を指していることを意味する。 『旧唐書』には、また、勢力範囲に ...
『旧唐書』倭国 倭国は古の倭奴国2
この倭奴国は志賀島から出土した金印「漢委奴国王」の「委奴国」のことだと思われるが、そうすると、倭奴国は博多湾周辺の国だったことになり、倭と呼ばれていた地域は、博多湾周辺を南限として、海を挟んで朝鮮半島南部にかけてあったことになる。ところが、『隋書』俀国 ...
『旧唐書』倭国 倭国は古の倭奴国
『旧唐書』倭国日本伝の倭国記事は、これまでの中国史書の倭国に関する記事を、ほとんどといってよいほど踏襲している。主なものを挙げると次のようになる。① 京師を去ること一万四千里、新羅東南の大海の中にあり、山島に依って居る。② 東西は五月行、南北は三月行。 ...
『旧唐書』と『新唐書』
『隋書俀国伝』を分析することにより、邪靡堆すなわち邪馬壹国が有明海北東部沿岸にあり、俀国(倭国)は九州島であることがわかりました。このことは『旧唐書』と『新唐書』の内容の違いに対する解釈にも影響を与えることになります。 『旧唐書』は945年に成立しまし ...
『隋書俀国伝』の証明 への思い
「『隋書俀国伝』の証明」は、そもそも「市民の古代」第14集(1992年12月1日発行)に投稿し採用された論考の題名でした。「市民の古代」は、基本的に、古田武彦氏を支持する人たちでつくっていた季刊誌ですが、そこへ反古田説ともいうべき論考を投稿し、しかも採用 ...
『隋書俀国伝』の持つ意味
『隋書』は唐の初めに書かれたもので、古い時代のことは、基本的にはそれまでの史書を参考としている。しかし新しい記事も多く、新鮮ささえ感じられる。開皇二十年(600)、大業三年(607)など、『隋書』が書かれた時代に近い時代の事件も多く書かれている。特に、 ...
魏使と隋使の行路
魏使と隋使は一部異なった行路をとった。このことは『魏志倭人伝』と『隋書俀国伝』の二つの行路により明らかとなった。九州島上陸前の壱岐までは同じ行路をとっているが、その後の上陸地点が異なっている。魏使は、上陸地点から後の隋使が上陸した地点まで、わざわざ陸路 ...